アンジェリーナ・ジョリーさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
自殺傾向のあるうつ状態に悩まされたアンジェリーナ・ジョリーさん
アンジェリーナ・ジョリーさんは、アメリカ合衆国の女優で、映画プロデューサー、ファッションモデルでもあります。
アンジェリーナ・ジョリーさんは、現在は女優業のほかに監督作を発表したり、また慈善活動にも尽力したりと幅広い活動をしているスター女優ですが、10~20代にかけては、学校でのいじめやコンプレックスなどのせいで、他人に心を開かなくなり、うつ病と自傷行為を繰り返していたそうです。
アンジェリーナ・ジョリーさんの経歴、芸歴は?
アンジェリーナ・ジョリーさんは、米カリフォルニア州ロサンゼルスの出身で、父はスロバキアおよびドイツ系アメリカ人俳優のジョン・ヴォイトさんで、母はフランス系カナダ人とイロコイ族(ワイアンドット族)の血をひく女優のミシェリーヌ・ベルトランです。
生後間も無い1976年に両親が別居すると、アンジェリーナ・ジョリーさんは兄弟と共にニューヨークへ移住し、また、幼少の頃から母と共に映画に親しみ、演技に対する興味を示し始めていました。
そして、1982年には父が主演する映画「大狂乱」で親子共演を果たしています。
アンジェリーナ・ジョリーさんが生まれて間もない1976年に両親が別居した後、アンジェリーナ・ジョリーさんと兄は母親に引き取られ、母親は演技の仕事に関わる夢を捨て、子育てに専念しました。
アンジェリーナ・ジョリーさんは、子供のころ、母親とよく映画を見に行きました。
後にアンジェリーナ・ジョリーさんは、このことが後に演技に興味をもつきっかけとなり、父親(ジョン・ヴォイトさん)の影響は全くなかったと語っています。
アンジェリーナ・ジョリーさんは、6歳の時、母親と義理の父親であるビリー・デイ(映画制作者)さんはニューヨーク州に引越しました。
そして、5年後にカリフォルニア州のロサンゼルスに戻り、その時に彼女はリー・ストラスバーグ演劇学校に入学し、2年間演技を学び、いくつかの舞台作品に出演しました。
アンジェリーナ・ジョリーさんは14歳の時に演劇学校を辞め、将来の希望を葬祭ディレクター(アメリカでは、葬儀のコーディネートをし、遺体の保存、埋葬、火葬などに関わるプロフェッショナルのこと。
短大または4年制大学の学歴が必要で、モーチュアリーサイエンスの知識が要求されます。
さらに、全国試験を受け、州ごとにライセンスを獲得しなければなりません)としていました。
その後、アンジェリーナ・ジョリーさんはファッションモデルになりました。
そして、主にロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンで働いており、この時期にまた、常に黒の衣装を身に纏い、ナイフプレイを試みたり、同棲相手とモッシュに出掛けたりし、学業に復帰するまでに2年の時間を要しています。
その後、アンジェリーナ・ジョリーさんは、母が住む家から僅か数ブロックだけ離れたガレージの上にあるアパートメントを借り、高等学校を卒業した後、再び演劇の分野に復帰しましたが、この頃についてアンジェリーナ・ジョリーさんは「私は今でも…そしてこれからも…心の中では、刺青をしたつまらない子供に過ぎません」と表現しています。
アンジェリーナ・ジョリーさんは、14歳でアメリカとヨーロッパを基点にファッションモデルを始め、その一方で幾つかのミュージック・ビデオに出演しました。16歳で演劇を再度学び始め、ドイツ人のミストレス役で舞台デビューを飾り、兄が製作した学生映画への出演を経て、1993年には、低予算ながら映画初出演を果たします。
1995年、「サイバーネット」で映画初主演し、興業収入こそ精彩を欠いたものの、アンジェリーナ・ジョリーさんの存在感と演技は「ニューヨーク・タイムズ」において絶賛を博しました。そのため、同作品はソフト化されてからカルト映画として再評価されました。
その後も多数の作品でキャリアを重ね、次第に賞レースにもその名が挙げられるようになり、そしてアンジェリーナ・ジョリーさんの評価を決定付けたのは、1998年放映のテレビ映画「ジーア/悲劇のスーパーモデル」での演技でした。
エイズとドラッグにより短い生涯を終えた実在のモデル、ジア・キャランジさんを演じたアンジェリーナ・ジョリーさんは、この作品で数多くの賞とノミネートを受け、さらに翌1999年の「17歳のカルテ」でアカデミー助演女優賞を受賞します。
こうして、アンジェリーナ・ジョリーさんは実力派女優としての地位を確立しましたが、時を同じくしてジョニー・リー・ミラーさんとの離婚を中心とした親族との不和が先行していたということもありました。
しかし2000年、ヒロイン役として出演した「60セカンズ」が興行的に大成功を収めました。
すると、翌2001年に出演した人気テレビゲーム「トゥームレイダー」の実写化作品で、過酷なトレーニングで武道を習得した末に主人公のララ・クロフトを演じ、映画評論家から「ジョリーはクロフトを演じるために生まれてきた」と評されるなど絶賛を博し、一躍世界的な人気を獲得しました。
その後、「Mr.&Mrs.スミス」で記録的な興行収入をあげるなどして、30代前半にして、アンジェリーナ・ジョリーさんはアメリカでもトップクラスのマネーメイキングスターとして活躍を続けています。
アンジェリーナ・ジョリーさんは、前述の通り、10歳代から20歳代の初期にかけて、自殺傾向のあるうつ状態に悩まされました。
彼女の母親の収入は少なく、つましい生活であったので、彼女は裕福な家庭からの学生の多いべバリーヒルズ高等学校の中で孤立したように感じていました。
さらに、アンジェリーナ・ジョリーさんが極端に痩せていたことや、眼鏡、歯列矯正の器具などを着用していたことで他の生徒からからかわれるということもあったそうです。
アンジェリーナ・ジョリーさんは他の人達と心を開いて付き合うことに困難を感じていたため、その結果、自傷行為を始めてしまうようになったとのことです。
当時のことを、アンジェリーナ・ジョリーさんは「ナイフで自分を傷付けると生きているという実感が沸き、開放感に満たされ、なぜか癒しのようにを感じるのです」と振り返っています。
アンジェリーナ・ジョリーさんは、少女時代に心を傷つけられたり、20代で愛情に飢えて暴走したりと、若い頃に迷いに迷っていました。
そのアンジェリーナ・ジョリーさんがたどり着いたのが、母としての生きることと、女優業をしながら人道的な活動をするということなのではないでしょうか。
「愛を与える」という自分の居場所を見つけたからこそ、アンジェリーナ・ジョリーさんは変わることができ、落ち着いて自分を信じる道を歩めるようになったのかもしれないと思います。