ブルック・シールズさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
2度にわたる結婚、離婚、不妊治療、産後うつ病など経験したブルック・シールズさん
ブルック・シールズさんは、本名をクリスタ・ブルック・カミール・シールズ(Christa Brooke Camille Shields)といい、アメリカ合衆国ニューヨーク市出身のモデル、女優です。
そんなブルック・シールズさんの人生は結婚・離婚、不妊治療、そして流産という壮絶な人生であり、第一子の出産後には産後うつになってしまい、自殺を考えたそうです。
ブルック・シールズさんの経歴、芸歴は?
ブルック・シールズさんは、レブロンの重役で、ローマの銀行家・貴族のトルトニア家の血を引く父親(イタリアの公爵・メディチ家の血を引く)と、元女優の母親の下に生まれました。
そして、母親のマネジメントで、わずか生後11か月歳の時にアイヴォリー石鹸(Ivory)のモデルに起用され、その後に両親は離婚し、ブルック・シールズさんはアメリカで一番の高額ギャラを得る人気子供モデルとなります。
ブルック・シールズさんの父方の祖父であるフランク・シールズさん(1909年 – 1975年)は、1930年代前半に活躍して国際テニス殿堂入りしたほどのテニス選手です。
その後は、1930年代後半に3年間ハリウッド俳優としても活動した人物でした。
フランク・シールズさんの2番目の妻(ブルックの祖母)の兄にあたる第5代チヴィテッラ=チェシ公アレッサンドロ・トルロニアの妻のベアトリス・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグは、スペイン国王フアン・カルロス1世の伯母です。
そのため、血縁関係こそ無いものの、ブルック・シールズさんはスペイン王家とイギリス王家の遠縁にあたることになります。
また、父方の曽祖父の第4代チヴィテッラ=チェシ公マリノ・トルロニアはアメリカ東部の上流階級の女性と結婚したが、その女性の兄弟の孫が女優のグレン・クローズさんです。
元々このトルロニア家は、18世紀にフランスのオーベルニュ地方で枢機卿をしていた人物の給仕係として、ローマに連れて来られたフランス人の貧しい元農民を始祖としています。
そして、その人物の息子や孫がローマで実業家・銀行家に転身して大成功したことで、18-19世紀にかけてローマとヴァチカンを支配することになった成り上がり者の一族ですが、婚姻を通じて中世からローマを支配した名門貴族のオルシーニ家・ボルゲーゼ家と親戚になったことで、彼らを通してメディチ家・エステ家・旧イタリア王家のサヴォイア家とも遠戚になりました。
また、父親の再婚相手の前夫はアメリカの名家オーチンクロス家出身なので、この家を通して作家のゴア・ヴィダル・ジャックリーン・ケネディさんとも系譜が繋がっています。
ホラー映画「Alice, Sweet Alice」で主人公の妹役で映画デビュー
ブルック・シールズさんは1977年、ホラー映画「Alice, Sweet Alice」で主人公の妹役で映画デビューし、1978年にはルイ・マル監督の「プリティ・ベビー」で12歳の娼婦を演じて、大きな話題となりました。
15歳の時にはカルバンクラインのジーンズのCMに起用されましたが、年少にしては悩殺的な演技が問題となったため、CBSは放送中止にしました。
ブルック・シールズさんは、1980年の「青い珊瑚礁」や1981年の「エンドレス・ラブ」などにより、世界的に人気を集め、美人の代名詞とされるようになり、また、20歳の時にはエッセー「私のライフ・スタイル」を出版しました。プリンストン大学では仏文学を専攻しており、1987年に卒業しましたが、学生時代には、俳優のディーン・ケインさんと交際していました。
ブルック・シールズさんは1997年4月19日、男子プロテニス選手のアンドレ・アガシさんと4年間の交際を経て結婚しました。当時のブルック・シールズさんはテレビ・シリーズの「ハロー・スーザン」に出演中で、成人後低迷していた女優業は再び充実してきていたところでしたが、アガシさんのテニスは不調に陥ってしまい、結局、2人は2年後の1999年4月に離婚しました。
ブルック・シールズさんは、アガシさんとの離婚後、2001年4月にテレビ・プロデューサーのクリス・ヘンチーさんと再婚し、最近においては、バーンスタインのミュージカル「ワンダフル・タウン」の主演などがあり、好評を博しました。
ブルック・シールズさんは2003年に長女(ローワン)を出産しましたが、前述の通り、その後はうつ症状になりました。
ブルック・シールズさんは、抗うつ薬のパキシルを使用したことを公表しましたが、2005年5月にサイエントロジー信者であるトム・クルーズさんがこれを名指しで批判しましたが、このトム・クルーズさんの発言はいわれのない中傷であり、そして彼の評判を下げる結果となりました。
ただ、ブルック・シールズさんは、後日トム・クルーズさん自身から謝罪を受け、2人の仲は回復しており、奇しくも、ブルック・シールズさんの二女(グリア)とトム・クルーズさんの二女(実子)は同日に同じ病院で誕生しました。
2回目の結婚後、中々子宝に恵まれなかったブルック・シールズさんは不妊治療として体外受精を行ったそうなのですが、その回数は7回にも及んだそうです。
人工授精などとは違い、母体への影響も大きい体外受精を7回も行ったのはとても大変だったはずで、しかも結果的に高齢出産ですから、ブルック・シールズさんへの心身への負担は相当のものだったのではと思われます。
また、その体外受精を行っていく中で、ブルック・シールズさんは流産も経験しました。
そのことからブルック・シールズさんの心のストレスは限界まで達してしまっていたのです。
そうして、めでたく38歳の時に第一子が生まれるも、今までの負担が一気に解放され、心のバランスが乱れてしまったのか、産後うつになり、自殺を考えるまでになってしまったのです。
しかし、そんなブルック・シールズさんを支えてくれたのは旦那さんでした。旦那さんの支えによってブルック・シールズさんは快方に向かい、40歳で第二子を授かるところまで心身が回復したのです。
現在では、50歳を超えた年齢となっているブルック・シールズさん。
2度にわたる結婚、離婚、不妊治療、産後うつ病など、色々なことがあった今までの人生でしたが、結果的に子供と旦那に恵まれましたので、素敵な人生だといえるのではないでしょうか。