産後うつ発症。複数回の自殺未遂を経て。【体験ブログ】
今から約6年前、当時の私は30歳で、結婚2年目のまだ新婚と言える時期でした。
私は派遣社員として都心の大手企業で秘書として働いていました。
30歳になってから意識し始めたことが「妊活」でした。
そろそろ赤ちゃんが欲しいな、と思い始めて夫と話し合い、子作りをすることにしました。
女性が多い職場だったので、ほぼ毎月のように妊娠報告を聞いていました。
なかなか授からない私は、祝福するものの心の中は泣いていました。
妊活を始めて6か月たった頃、妊活のために基礎体温を毎日測ることや日々の食事や生活に気を付けることに疲れ切っていた私は、全てやめることにしました。
基礎体温もつけずに、食事も好きなものを食べ、夜更かしやら友達と飲みに行ったり、好きなことをしました。
何と不思議なことに、その月に赤ちゃんを授かったのです。
あんなに頑張っても出来なかった赤ちゃんが、妊活のためにしていたことを全部やめたとたんに来てくれました。
きっと「妊活」という言葉がずっと頭から離れなかった時期はストレスで、どうでもよくなったらストレスが無くなって妊娠しやすくなったのかもしれません。
待ち望んでいた妊娠に心の底から喜びました。それから出産までの約10か月間は、私の人生の中で一番幸せだった日々かもしれません。
そして臨月になり、予定日になっても産まれてくる気配が無かったのですが、初産だからよくあること、と思っていました。
予定日を2日ほど過ぎた日の診察で、あと1週間陣痛が来なかったら入院して陣痛促進剤で産みましょう、と言われました。
その次の日の夜のこと。突然思いっきり破水した感覚がありました。
何しろ初めての経験だったので、うろたえましたがとにかく病院に電話をすると、すぐに来るようにと言われました。
タクシーで夫と病院へ行き、完全破水ということが分かり入院。
その後15時間の陣痛に耐え、無事に我が子を出産することができました。出産する時は感動して泣くかな、と思っていましたが、それよりも陣痛が痛すぎてようやく産めた!という気持ちの方が強かったです。
我が子を見たときに、可愛いと思いました。
6日の入院が終わり、退院となり、以前から決めていた私の実家へ夫と子供と向かいました。
私の気持ちはその時から出産の喜びよりも、何かとてつもないことが待っている恐怖感がいつも付きまとうようになっていました。
私の実家では両親が待ちに待った孫のお世話をよくしてくれ、可愛がってくれました。
一方で私は、子供が次にいつ泣くか、何時にミルクをあげなきゃいけないか、何時に寝かせるか、そんなことばかり考えていました。不安で不安でしょうがなかったです。
実家から自宅へ行けば私も普段の生活に戻れるかもしれないと思い、予定を早めて自宅へ戻りました。
しかし症状は悪くなる一方で、泣いてもいないのに泣いた気がして起きることがありました。
そしてとうとう一睡も出来なくなってしまいました。
更に、抱っこをしたくないのです。
できるだけ抱っこをしないように、ゆらゆら電動で揺れるゆりかごを買ったりしました。
もう心も体も疲れ切っていた私は、出産後に訪問してくれた保健師さんに打ち明けると、初めて「産後うつ」という言葉と出会いました。
保健師さんから産後うつになっているからすぐに病院へ行きましょうと病院を紹介され、家族で行きました。
そこのクリニックの医師は全然気持ちを理解してくれず、ココアでも飲んでれば眠れるよ、と言われました。ショックでした。
一応処方してもらった睡眠剤をもらいましたが、母乳でしたのでなるべく飲まずに我慢していました。
でも症状は悪くなる一方で、突然泣き出したり、部屋に引きこもったり、見かねた夫が無理やり私の口をこじ開けて睡眠剤を飲ませました。
その晩出産後に初めてぐっすりと眠ることができました。
一向に症状は良くならず、とうとう自死願望が出てくるようになりました。
そこで、以前通っていた婦人科に心療内科があったので行ってみることにしました。
しかしそこで症状を話すと、私のケースは深刻すぎてここでは診られないから精神科に行くよう言われました。
その晩に、睡眠薬を大量に飲んで一回目の自殺未遂をはかりました。
救急車で運ばれ、その病院に精神科があったので、入院したい旨を伝えると、そこは統合失調症の患者が多く、閉鎖病棟でかなり異質な感じがすると思うのでおすすめできないと言われました。そしてその病院から、あるクリニックを紹介されました。実家から近い精神科でした。
藁にもすがる思いで、母と夫と子供と4人でそのクリニックへ行きました。
そこの先生は年配の男性で、とっても親身になって話を聞いてくれました。その時初めてやっと良い先生に巡り合えたとほっとしたことを覚えています。
その先生のところに通うようになってから、少しずつ、少しずつ、症状が改善されていきました。
良くなったと言えるようになったのは、子供がすでに2歳になった頃でした。
その間にも数回自殺未遂をし、病院へ運ばれました。
でも実は、あまりにも辛い経験だったからか、その頃の記憶があまりはっきりしないのです。
子供が全然可愛いと思えなかった私は、2歳になって初めて何て子供が可愛いんだろうと思いました。
そう最初に実感した時は泣きました。何て言う姿を今までこの子に見せていたんだろうと。
あれから4年。子供は今年7歳の小学生になります。
私は仕事を3年前から始めました。
でもまだ通院しています。完治したとは言えません。
でも地獄の日々は通り過ぎました。またそんな状態にならないように、服薬を続けています。
うつ病とこれからもうまく付き合っていかないといけないと思います。”