藤原紀香さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
うつ病寸前で、一時は睡眠薬を服用していた藤原紀香さん
藤原紀香さんは、兵庫県西宮市出身の日本の女優、モデル、タレントです。
藤原紀香さんは、ファッション誌「Numero TOKYO」(扶桑社)において、初めて離婚のときの心境について告白しており、うつ病寸前で、一時は睡眠薬を服用していたことなどを明かしています。
藤原紀香さんの経歴、芸歴
藤原紀香さんは1984年、西宮市立生瀬小学校を卒業し、親和中学校へ進学。
1989年、毎日放送が毎年公募していた 選抜高等学校野球大会の「セブンティーンレポーター」の一人に選ばれます。
1990年、親和女子高等学校を経て、神戸親和女子大学文学部英米文学科に進学し、1991年、神戸親和女子大学在学中に、第24回(1992年度)ミス日本グランプリコンテストに応募し、グランプリを受賞します。
1993年、東レの水着キャンペーンガールに選ばれ、関西ローカル番組「ナイトinナイト」の枠内で放送されていた、「クイズ!紳助くん」の初代アシスタントに抜擢されます。
この番組には、1997年12月まで、長期出演することになりました。1994年、アサヒビールのイメージガールとして活躍し、1995年、阪神・淡路大震災を経験したことから、「人生、いつ終わるか分からないから」と達観して上京を決意します。
1998年、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のCM出演をきっかけにブレイクし、CM女王などと言われました。
2000年には、香港映画「SPY_N」に出演し、2004年、3年契約で自身がプロデュースするブランド「NEW YORK DIARY」を立ち上げた。
2006年12月26日、藤原紀香さんは、お笑い芸人の陣内智則さんと2人そろって婚約会見
当時、世界で一番ユーザーが多かったソーシャルネットワーク、MySpaceを始めます。
2007年、2月17日、生田神社で陣内智則さんと挙式をあげましたが、その挙式の様子は非公開でした。
4月10日、加古川市役所にて入籍し、5月には、自著である「紀香魂 – ハッピー・スピリット – 」を発売し、マリッジブルーにより「円形脱毛症」だったことが明かされました。
同年5月30日には、ホテルオークラ神戸において披露宴を行いました。
2008年2月には、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出されています。2009年3月23日、陣内智則さんと離婚。
同年5月、NHK金曜ドラマ「ツレがうつになりまして。」に主演し、突然うつ病となった夫を支える妻を演じます。
同年10月~12月、日本の産婦人科医療が抱える現状を描いた日本テレビ系列のドラマ「ギネ〜産婦人科の女たち」に主演し、2010年1月7日~29日には、日生劇場にて、ブロードウェイミュージカルの世界的名作「キャバレー」に主演し、歌姫サリー・ボウルズ役を務めます。2009年、2010年には、二年連続で「輝く日本レコード大賞」の司会を堺正章さんとともに務めます。
2011年3月11日に初日を迎えるはずだったミュージカル「マルグリット」は、東日本大震災が当日に起こったため、順延となり、同月17日~28日まで東京、4月6日~10日まで大阪で公演しました。
その間、毎公演後ロビーに立ち、自身が立ち上げた「スマイルプリーズ紀香基金」にて東日本大震災への義援金を募りました。
そして、3月30日、自らの寄付と合わせ、スマイルプリーズ第一回目募金として、6300万円を日本赤十字社の近衛社長に直接手渡しています。
大阪公演の大千秋楽の2日後の4月12日、藤原紀香さんは、東日本大震災の被災地に入りました。
そして、福島県の赤十字社、宮城県内の避難所や石巻赤十字病院などを訪問し、被災者や医療スタッフを激励。
その後も被災地への訪問を重ねています。2013年、京都国立博物館広報特使に就任し、2015年には、紀の川市フルーツ大使に就任しました。
2016年には、歌舞伎俳優の片岡愛之助さんと、3月30日に都内の区役所に婚姻届を提出し、再婚しました。
そんな藤原紀香さんは、前述のファッション誌でロングインタビューに応じており、「主演をやるまでは恋愛禁止と事務所から言われていて、それを真面目に守っていました」といい、「気付いたら4、5年完全無休状態」だったと語っています。
そうして、走りながら、ドラマの仕事を勝ち取ったそうです。
お笑い芸人、陣内智則さんとの離婚・結婚については、これまで固く口を閉ざしてきました。
しかし、名前こそ出さないものの当時の心境を吐露しており、「結婚し、離婚したことは30代においての大きな転機だったと思う(中略)離婚するのは申し訳なくて-何度も、何度も踏みとどまった。でも、もう、限界だった」と語っています。
原因などの恨みごとは書かれておらず、藤原紀香さん自身については「毎日、仕事もできなくなるほど苦しくて、睡眠薬を飲まないと眠れず、うつ寸前だった」と明かしています。
離婚に踏み切るまでの1年間に、藤原紀香さんは、初のミュージカル「ドロウジー・シャペロン」の稽古を8カ月猛特訓していました。
ところが、ほとんど眠れず、先生から「歌も踊りも、心と繋がってるのよ。
今のあなたには全く無理だからすぐ帰りなさい」と告げられ、そのことでようやく現実を直視したということです。
ただ、現在は好きな仕事に就けた幸せをかみ締め、今は自分に合う人と巡り合い、また人を好きになれたということもその誌面には書かれています。
前述の通り、藤原紀香さんは片岡愛之助さんとの再婚を果たしていますし、これからはまた違った一面も見せてくれるのではないでしょうか。