オードリー ヘップバーン うつ病

オードリー・ヘップバーンさんの人生は、戦争やうつ病など波乱に満ちたものでした。

オードリー・ヘップバーンさんは、イギリス人で、アメリカ合衆国の女優であり、日本においてはヘップバーンと表記されることも多くなっています。
オードリー・ヘップバーンさんは、ハリウッド黄金時代に活躍した女優です。

映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られていて、アメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI) の「最も偉大な女優50選」では第3位にランクインしています。

また、インターナショナル・ベスト・ドレッサーにも殿堂入りしています。

しかし、そんなオードリー・ヘップバーンさんの人生は、戦争やうつ病など波乱に満ちたものでした。

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オードリー・ヘップバーンさんは、ベルギーのブリュッセル・イクセルで生まれました。

そして、幼少期をベルギー、イングランドで過ごし、オランダにも在住した経験があります。
第二次世界大戦中にはナチス・ドイツが占領していたオランダのアーネムに住んでいたこともあったそうです。

各種資料の一部に本名を「エッダ・ファン・ヘームストラ」とするものがあり、これは、戦時中にナチス・ドイツ占領下にあったオランダで、「オードリー」という名があまりにイギリス風であることを心配した母エラが、自らの名前をもじって(EllaをEddaとした)一時的に変えたものであるそうです。

オードリー・ヘップバーンさんは、5歳ごろからバレエを初め、アムステルダムではソニア・ガスケルさんのもとでバレエを習います。
そして、1948年にはマリー・ランバートさんにバレエを学ぶためにロンドンへと渡って、ウエスト・エンドで舞台に立ったという経験をしています。

オードリー・ヘップバーンさんは、イギリスで数本の映画に出演しました。

その後に、1951年のブロードウェイ舞台作品である「ジジ」 で主役を演じ、1953年には「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を獲得しました。
その後も「麗しのサブリナ」(1954年)、「尼僧物語」(1959年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「シャレード」(1963年)、「マイ・フェア・レディ」(1964年)、「暗くなるまで待って」(1967年)などの人気作、話題作に立て続けに出演しました。

女優としてのオードリー・ヘップバーンさんは、映画作品においては、アカデミー賞のほかに、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞を受賞しました。
そして、舞台作品においては、1954年のブロードウェイ舞台作品である「オンディーヌ」 でトニー賞を受賞しています。

さらにオードリー・ヘップバーンさんは、死後にグラミー賞とエミー賞も受賞していることから、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞という4つの賞の全ての受賞経験を持つ、数少ない人物の一人となっています。

オードリー・ヘップバーンさんの女優業は年齢と共に減っていきました。

そのため、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げました。

オードリー・ヘップバーンさんがユニセフへの貢献を始めたのは1954年からです。

そして、1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身しています。
また、1992年終わりには、ユニセフ親善大使としての活動に対して、アメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与されています。

この大統領自由勲章を受勲した一カ月後の1993年に、オードリー・ヘップバーンさんはスイスの自宅で虫垂癌のために63歳で死去しました。

オードリー・ヘップバーンさんは25歳の時、アメリカ人俳優メル・ファーラ―さんと結婚します。

そして、後に彼との結婚生活の間で数回の流産を経験し、この流産が、オードリー・ヘップバーンさんのうつの原因となってしまいます。

その流産のうちの一回は、映画撮影中の落馬事故によるものでした。
このことが、もともと子ども好きで、自身の出産を強く望んでいたオードリー・ヘップバーンさんにとって、心に深い傷を負わせるものとなってしまいました。

このショックにより、オードリー・ヘップバーンさんの体重は減少の一途をたどり、さらに喫煙量も増え、精神的に不安定な状態が続いてしまいます。

ただ、1960年、長男であるショーンが誕生し、この出産を機に、オードリー・ヘップバーンさんは元気を取り戻すようになったといいます。

オードリー・ヘップバーンさんはショーンの妊娠が発覚したことが分かった時から一年間、女優の活動を休業して、万全の体勢で出産に備えました。
このように、過去のショックを嘆き続けるのではなく、再び惨事が起こらないよう、その原因となり得るものを取り除いていくという理性的な判断が、結果的に彼女を立ち直らせるきっかけに繋がったといえるでしょう。

この長男の誕生後、離婚、再婚をしたオードリー・ヘップバーンさんでしたが、ファーラーさんとの離婚前にも、二度目の結婚をして、次男をもうけた後にも再び流産を経験してしまいます。

オードリー・ヘップバーンさんの子どもに対する思いは、形を変え、晩年のユニセフ活動に色濃く表れているといえます。
ユニセフでの活動は、オードリー・ヘップバーンさん自身が戦時中にユニセフにお世話になったということもあり、その恩返しとしての意味合いもあったようです。

アフリカ、南米、アジアの恵まれない子どもたちの人道支援を精力的に行い、前述の通り、後に大統領自由勲章を授与されます。
オードリー・ヘップバーンさんの行動に一貫しているのは、自分に置かれた状況において、可能な限りの最適の選択をしていることです。

辛い流産という経験も、悲しむだけに終わらず、むしろその経験を生かしていくという発想の転換こそがオードリー・ヘップバーンさん自身を救い、立ち直らせました。
そして、その経験が、世界の子どもたちを救うということにも繋がったといえるでしょう。

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