薬を服用しているのにもかかわらず、毎日自死についての思考が止まりません。
僕は約10年間「気分変調性障害」を患っています。
服用薬は「プロペシア」というセロトニン分泌を促す薬を服用しており、気分変調性障害特有の気分の上がり下がりはこれにより緩和されています。
とはいうう物の薬を飲んでいるからと言って完全に症状が治るといううわけでもなく、感覚としては少しだけ振れ幅が減少しただけで気分が落ち込む時は落ち込みます。
薬を服用しているのにもかかわらず、毎日自死についての思考が止まりません。
あいまいな将来の不安を一途に考えてしまう脳の癖に心底疲れ果てており、僕は「視線恐怖症」も同時に患っているので人の視線や声が鋭利な刃物となって襲い掛かってくる妄想にとらわれてもいるのです。
そのため毎日スポンジ製の耳栓を欠かさず着けているという生活を送っており、外に出てサラリーマンをやるという健全な職に着けているわけでもありません。
今ある現状を今の自身の価値観で見てみても、どうして自分はこんなにも欠陥人間なのだろうと悲観する思考が止まらないのです。
僕は現在実家暮らしで親に付き添いで精神科病院に通うという生活を送っています。
この病院だけが現在唯一の社会とのつながりともいえる場所であり、毎月一回の受信にとても緊張して訪れなければならない場所でもあるのです。
病院での治療は毎月の医師とのコミュニケーションと内服薬による治療が主となります。
受診の初回時には、アンケートや長時間の医師とのコミュニケーションという時間が取られ僕の病状をしっかりと医師が把握してくれました。
精神科病院と言えども、屋内にはさまざまな人たちが存在しその中には声を発して耳につんざくような人もいます。
そのような人たちの声を遮るために僕は耳栓を屋内では着けているのですが、耳栓を着けている最中に誰かから悪いことを言われないだろうかといった被害妄想じみた事を考えてしまい、耐えきれなくなりその場にうずくまったこともあります。
本当に僕は自尊心という物が低く、生きている事が毎日苦しいと感じながら生活しているので本当につらいと思うのです。
いつかこの考えや鬱病がなくなる日を当然望んではいるのですが、病気発祥がわかってから幾分の時間がたっている現在では、病気が治癒することは無いのかもしれません。
思えば僕は学生時代、人の声という者に過敏に反応しストレスを感じていた記憶があります。
発達障害もあるのでしょう、僕は皆ができる事が出来なかったり理解ができない子供でした。
それは今でも変わりませんが、それらできない事のるみ重ねとそれを容認してくれる人が僕の周りには存在しなかったため、現在のような人格と鬱病が発症したのかもしれません。
いわば鬱病、僕場合は気分変調性障害は「呪い」のような物であり、テレビに出ている面白可笑しい芸能人などを見ると楽しそうな人生に嫉妬すらしてしまいます。
この呪いを解くために僕はインターネットを活用して様々な対策法を探して実行したのですがどれも効果はありません。僕はこんなにも助けてもらいたい、もしくは自分から助かる方法を探しているにも関わらず一向に鬱病が治癒しない現状に心底疲れ、そしてすべてを投げ出したい気持ちでいっぱいなのです。