木の実 ナナ うつ病 更年期障害

更年期性うつ病になった木の実 ナナさん

木の実 ナナさんは、東京都向島区寺島町(現在の墨田区向島)出身で、ダンカンミュージックに所属している、日本の女優、歌手です。
演技に歌、ダンスと幅広い才能でドラマやミュージカルなどで活躍する木の実ナナさんもうつを克服した一人となっています。

なお、木の実ナナさんは更年期性うつ病と診断されたそうです。

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木の実ナナさんの経歴、芸歴

木の実ナナさんは、父はトランペット奏者、母は踊り子という家庭で、父が19歳、母が20歳の時に生まれました。
生まれつき体が弱く、3歳まで歩けなかったそうです。

その後、身体を鍛えるために5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つようになります。

木の実ナナさんが中学3年の時、渡辺プロ主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催されました。
その際、受験する友人は緊張の余り固まってしまったため、困った司会者より「じゃあ! 君が代わりに唄って!」と木の実ナナさんが指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝してしまいました。

そして、猛反対する父親を説き伏せ芸能界入りし、この頃に初期ザ・ドリフターズの専属歌手として歌っていたこともあったということです。

木の実ナナさんのデビュー曲は「東京キカンボ娘」(1962年8月10日、菊村紀彦作詞・作曲)

であり、「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村紀彦さんによってつけられました。
漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村紀彦さんが「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだということであり、「着の身着のまま」が芸名の由来という説は、木の実ナナさん自身が否定しています。

1962年には、音楽番組「ホイホイ・ミュージック・スクール」(日本テレビ)でデビューし、当時、この番組のイメージにより「ホイホイ娘」とも呼ばれていました。
1967年には「ミニ・ミニ・ロック」という曲をヒットさせて人気を集めました。

しかし、番組終了と同時に低迷、前座歌手をする日々が続いてしまいます。
また、ヒット曲に恵まれず、心機一転として1970年には本場のショー・ビジネスを学ぼうと渡米します。

1973年、帰国後に劇団四季のミュージカルに自ら応募しました。
そして、同年「アプローズ」に出演し、これがヒット作となり、自身も高い評価を受けて舞台女優としての地位を確立しました。

この時、主演を務めた越路吹雪さんとは共演を機にプライベートでも親しく付き合うようになり、多大な影響を受けたということです。
これ以後、木の実ナナさんは多数のミュージカルに出演する様になりました。

1974年から始まった、細川俊之さんとの歌と踊りとしゃれた会話でつづる二人芝居「ショーガール」は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなり、1975年、芸術選奨新人賞を受賞し、1976年には、紀伊國屋演劇賞を受賞します。

1975年、小沢昭一さん主宰の劇団「芸能座」の旗揚げ公演「清水次郎長伝・伝」に参加(次郎長の妻・お蝶役)し、小沢さん、加藤武さん、山口崇さん、山谷初男さん、猪俣光世さん、音楽担当の神津善行さん、薗田憲一さんとデキシーキングスさん、座付き作者の永六輔さんらと共に飯塚・嘉穂劇場などの旅興行に出ます。

1977年頃には、西田敏行さんや武田鉄矢さんと共に、バラエティー番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」に出演し、コントを披露します。
また、1982年の五木ひろしさんとのデュエット「居酒屋」は大ヒットを記録しました。

2015年、舞台「南阿佐ヶ谷の母」の沖縄公演終了後の10月24日に左大腿骨を骨折し、11月3日からの紀伊國屋ホールの公演では、演出を変更して車いすで出演しました。

そんな木の実ナナさんは、嫌なことは翌日に持ち越さないよう、毎日を新鮮な気持ちで迎えるように心がけていたそうです。

しかし、ある朝突然、嫌なことを引きずっている自分に気づいたそうで、それが木の実ナナさんのうつの始まりでした。

その後、耳鳴り、動悸、めまいなどの症状が酷くなり、人と接することを避けるようになってしまいました。
自分が好きだったものも大嫌いになり、自分のことを卑下し始め、当時はバスが走っているのを見ただけでイライラしてしまうほどひどい状態だったそうです。

仕事柄、お客さんやファンの前では笑顔を振りまきながらも、本当はみんな私のこんな作り笑顔を見破っているに違いない、人前で愛想を振りまくのが嫌でしょうがないという自分を隠して、笑顔で受け答えするというプレッシャーに苛まれながら約2年半もの月日を過ごしていたそうです。

木の実ナナさんのうつの克服のきっかけとなったのは、一人のファンの存在でした。

そのファンの方は木の実ナナさんがうつだと気づいたようで、1冊の本と共に、心療内科医であるそのファンの方の名刺が木の実ナナさんに届けられました。

それをきっかけに受診をしてみると、木の実ナナさんは更年期性うつ病と診断されたそうです。

また、女性のヘアメイクさんも、木の実ナナさんの悩みを打ち明けるとしっかり受け止めてくれたそうです。

そして、仕事の現場で爆発しそうになった時には、木の実さんが発散できるようフォローしてくれたそうですこのように周囲が優しく見守ってくれたおかげで、木の実ナナさんは徐々にうつが克服できたそうです。

木の実ナナさんは自分がうつ病であるということを世間に公表しました。

それは、「うつ病を克服することは可能だから死んではいけない、元気が売りで実際そうだったこの私でさえもうつ病になるほど、誰にでもうつになる可能性があるんだ」、というメッセージを伝えるためでした。

木の実ナナさんは、更年期性うつ病を克服するには誰かに相談することが大切と言っています。
もし、自分がうつの症状に当てはまると感じるたのなら恥ずかしがることはなく、迷わずに心療内科でも、家族でも悩みを打ち明けるところから克服できる、と木の実ナナさんは伝えてくれているのだと思います。

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