レディー・ガガさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
2013年末のツアー中に、うつ病を患っていると告白
レディー・ガガさんは、アメリカ合衆国の音楽家で、オーストラリア・シドニー名誉市民でもあります。
派手なパフォーマンスや派手な衣装で有名のレディー・ガガさんですが、2013年末のツアー中に、うつ病を患っていると告白されています。
レディー・ガガの経歴、芸歴
レディー・ガガさんは、イタリア系アメリカ人でインターネット企業の実業家の家庭のもと、ニューヨーク州ヨンカーズに生まれました。
家は裕福で、レディー・ガガさんは箱入り娘として育てられ、4歳で楽譜なしでピアノが演奏できるようになったそうです。
父親が初めて聴かせてくれたレコードはスティーヴィー・ワンダーさんのものであったそうで、その後ブルース・スプリングスティーンさんの曲などをピアノで練習するようになります。
その後、レディー・ガガさんは多くの有名アーティストを手掛けた先生からレッスンを受けるようになります。
そして、13歳になるころには初のピアノ・バラードを自分自身で作曲するようになり、11歳当時にジュリアード学院の音楽部門に合格するも、当時は音楽にさほど興味が無く入学を辞退。
その後、マンハッタンのカトリック系私立学校、聖心女子学院へ進学しました。
14歳からニューヨークのクラブでパフォーマンスを開始しました。
17歳で、それまで世界で20人しか早期入学が許されていなかったニューヨークのティッシュ・スクール・オブ・アート(ニューヨーク大学の芸術学部)に入学し、そこで音楽を本格的に学び、エッセイや論文を書くことによって作詞作曲技術を改善しました。
しかし、レディー・ガガさんは結局、1年生のときにニューヨーク大学を退学し、薬物中毒に陥ってしまいます。
しかしブリトニー・スピアーズやビヨンセに触発され、スターになるという夢を再確認した後、自らの意思で薬物中毒を乗り越え、芸術活動に専念するようになりました。
親元を離れストリップクラブで働き出しています。
レディー・ガガさんは19歳の時、デフ・ジャム・レコーディングスとの間で契約を結び、同じころ、親元を離れストリップクラブで働き出しています。このことは特に隠さず、「ストリップクラブで働いていた。
私のような裕福なイタリア系の家庭の出では珍しいことだ」と述べていて、ストリッパーとして生計を立てていたことを明かしています。
2007年には、インタースコープ・レコードとソングライター契約しました。
その後、同レーベルに所属するファーギー、ブリトニー・スピアーズさん、プッシーキャット・ドールズさん、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックさん、エイコンさんといった有名アーティストに楽曲を提供しました。
2008年には、デビュー・アルバム「ザ・フェイム」をリリースし、彼女自身が全ての歌詞を手がけました。また、メロディー作曲も自分でこなし、シンセサイザーの部分も自らが演奏しています。
「ザ・フェイム」は、オーストリア、イギリス、カナダ、アイルランドチャートにて1位を獲得し、アメリカ合衆国とオーストラリアでは最高位4位を、日本では最高位6位を記録しており、全世界での売上枚数は1200万枚を突破しています。
2009年11月には、2枚目のアルバム「ザ・モンスター」を発表し、全世界で600万枚以上売り上げ、2010年世界で最も売れたアルバムとなりました。
この再発盤からの1stシングル「バッド・ロマンス」はアメリカ、オーストラリア、アイルランドなどでトップ10入りしました。
また、イギリス、カナダ、スウェーデンなどのチャートで1位を獲得し、全世界で980万枚以上売り上げました。
「ザ・モンスター」の収録曲である「スピーチレス」は2009年12月11日に行われたロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンスで披露しており、そこでは、イギリス女王エリザベス2世と対面しています。
2011年2月11日、レディー・ガガさんが絶賛するシングル「ボーン・ディス・ウェイ」が解禁されました。
このシングルは、世界23ヵ国のiTunes音楽チャートでダウンロード数1位を記録し、特にアメリカでは配信後3時間で1位を獲得しました。
また、UKアルバム・チャートでは21万5,000枚を売り上げ、トップを飾っており、2011年の最速セールス記録となっています(2011年5月現在)。
2012年4月の韓国での公演では、パフォーマンスがわいせつだとして、保守的なキリスト教団体韓国教会言論会などが中止を要請しました。
そして、同国映像物等級委員会により18歳未満の観覧が禁止されました。
香港から5月8日夜に通算6度目の来日をしたレディー・ガガさんは、さいたまスーパーアリーナでワールドツアー「THE BORN THIS WAY BALL」を開催しました。
5月10日から12日の3日間の開催で、10万人を動員し、滞在中に東京ディズニーランド、六本木のペットショップ、原宿竹下通りのカフェ、新宿のしゃぶしゃぶ店などに出没しました。
そして、次の公演先の台湾へ5月16日離日する前夜には「日本のシンボリックな場所から、日本のリトルモンスターたちにメッセージを送りたい」と本人のたっての希望により、特別に開業前の東京スカイツリーに来場し、これは外国人歌手としても初めての来場となりました。
東京スカイツリーでは、地上350メートルの天望デッキと450メートルの天望回廊から景色を楽しめるはずだったが、あいにくの雨で夜景がよく見えませんでした。
それでもレディー・ガガさんは
「日本の3公演がソールドアウトなんて、皆さん応援してくれてありがとう。最後の夜にスカイツリーに来られて幸せ。雨だけどこんなにすてきな景色は初めてよ」
と感謝し、日本語で「アイシテマス、ジャパン」と投げキッスを贈りました。
数カ月間にわたり深く落ち込み、希望の光が見えなかった時期があったことを告白
レディー・ガガさんは2014年2月に、「ハーパーズバザー」誌で、数カ月間にわたり深く落ち込み、希望の光が見えなかった時期があったことを告白しています。
そこでは
「13年の終わりに、重度のうつ病になった。
人々と争うことに疲れ果ててしまったの。
怒り、皮肉屋になり、行く先々で、いかりに引っ張られているような、深い悲しみを抱いていたわ。
もうこれ以上、争うのがイヤになった。
またもう一人、私にウソをつく人から自分を守るために、闘う気にはなれなかった」
と振り返っています。
うつ病は、ストレスだけが原因でなるわけではありません。
そのため、レディー・ガガさんにとっては、度重なる別れや、大きな手術、仕事をキャンセルしなくてはいけないというストレスなど、いくつもの原因が重なってしまったことで、うつ症状が出てしまったようです。
レディー・ガガさんは、薬の服用もしていますが、自分のいい点のみを集中してみるようにしたことで、うつ病を克服していっています。
ただ、現在も、うつ病の症状が出ているようで、薬の服用は欠かせないそうです。
しかし、徐々に回復してはいるようですので、完全にうつ状態から回復できればいいなと思います。