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双極性障害とパニック障害を20年間治療中。【体験談】
最初はパニック障害の発作と極度のうつ状態が出て、うつ病と診断されました。
双極性障害とパニック障害の治療を受け始めてはや20年近くになります。
最初はパニック障害の発作と極度のうつ状態が出て、うつ病と診断されました。
その後双極性障害と診断されました。
今思い起こせば感情の起伏が激しく、双極性障害はもともと持っていたと思います。
症状としては、極度のうつ状態が続き、躁転して徐々に極度の躁状態まで上り詰め、最後にまた極度のうつ状態に一気に落ちていき、そのときに必ずきついパニック発作に見舞われます。まさに地獄です。
パニック発作では過呼吸、心拍数の急激な上昇、極度のふらつきなどが現れ、座っていることも無理でした。
ラピッド・サイクラー
双極性障害がいわゆる「ラピッド・サイクラー(極度に短期で躁鬱を繰り返すタイプ)」だったために、頻繁にパニック発作に見舞われ、初期は徒歩5分のスーパーまで行けない状態でした。
発症したのが国外だったため、いきなり当時日本では認可前だったNaSSAのミルタザピン(国内商品名:リフレックス)を処方されました。
その後は更にSSRIのパキシルも同時処方され、更に躁対策の炭酸リチウムが処方されました。
その処方組み合わせは帰国後の今でも続いています。
パニック発作時の頓服はロラゼパム(国内商品名:ワイパックス)でした。発作が多い時期は毎日服用していました。
なぜ発症したのかは未だに不明です。
双極性障害は遺伝性の要素が高いと言われています。
肉親にやはり感情の起伏が大きい人は多かったと思います。
一番つらかったのは、「家から出られなかったこと」です。
食事は宅配ピザ、他も全てデリバリーです。
もともと元気に外に出るのが大好きだった私にはこれが一番堪えました。
次につらかったのは休職を余儀なくされたことです。
仕事が一番の人生を20年あまりやってきた私には耐えがたいものがありました。
結局2年休職、そのあと3ヶ月出勤してまた休職。結果的に退職することとなりました。
2年間の休職中、1ヶ月入院しました。
精神科病棟は初めてでした。毎日がリハビリなど、不思議な空間でしたが、同じ境遇の人たちと出会えたのは結構楽しかったです。
お互い「病気を持っている」という共通点があり、垣根なく会話はできましたし。
帰国後再び、2ヶ月に及ぶ極度のうつ状態とパニック状態で、再び、今度は日本国内の病院に入院しました。
入院したときはすでに歩けない状態で車椅子で入ったと覚えています。
その2週間後にはなんとか歩けるようになったので(看護師がびっくりしていました)、「まだ私は回復したい意思があるのだな」と実感しましたが、なかなかそんなに簡単にはいかないもので、結局3ヶ月も入院していました。
2ヶ月目からは開放病棟に移され、スマートフォンも持たせてもらえて、外とのコンタクトを再開できたことがとても嬉しかったのを覚えています。
退院後、かなり順調に回復してきました。
今は2ヶ月に1回の通院で済み、うつにもならず、躁にもならず、中庸な精神状態を保っています。
パニック発作もほとんどなくなりました。
現在の投薬は前述の発症時とほぼ同じです。
双極性障害は治りにくいと言われています。
最初の頃は治すことを考えていましたが、最近は「いかにこの病気と上手に付き合って人生を過ごすか」ということを考えています。
自分で上手くコントロールさえできれば最小の範囲内でしか症状は出ませんし、まず最初の目標はそこです。
「それを続けていれば治るかもしれない」という希望を持ってポジティヴに人生を進めていきたいと思っています。
「希望をもつこと」、これが一番の薬かもしれません。