
私の父は、63歳のころ町内会長を任されました。
3年の任期でまだ現役で仕事をしているときだったので、始めは荷が重いと断っていたのですが、結局引き受ける人もおらず父がすることになったのです。
しかしそれが父の精神的な負担を強いられることになったのです。
父はその地域に生まれた時から住んでいました。そのためご近所さんはみな顔見知り。
しかしだんだんと若い世代のUターンもあり、知らない顔ぶれというのが増えていったのが事実です。
そんな中、町内会を盛り上げていく、引っ張っていくのは年配の世代。
そこで父が町内会長をしている間に癖のある住民と意見が合わず、裁判にまで発展することになってしまったのです。
始めは町内会の集まりの際に、癖のある住民がみんなの意見をかき乱してなかなか統一した意見を出すことができないということが良くありました。
しかしそれはみんな承知の上でのこと。
そのためその住民の意見は、ほとんど含めずに意見をまとめたのです。
そこが面白くなかったのかもしれません。
住民は言葉による攻撃性もあり、みんなが辟易していましたね。
そのような町内会の会議が続くので、役所の方に同席をしてもらって会議をしたこともあります。
しかしある時父の発言がその人の逆鱗に触れたということで、裁判を起こすという問題に発展しました。
ただでさえ町内会長という大役を引き受けた父はストレスから持病の心臓にも負担が大きくのしかかっていましたし、夜寝る前の眠剤を欠かすことができなくなりました。
そしてついにはかかりつけの医師に仮面うつだと診断を受けたのです。
そこでの治療は、寝る時のマイスリーと不安が強い時のデパスの処方でした。
またあとはカウンセリングを定期的に受けること。それを繰り返してもなかなか目に見えて改善せず、父はつらそうな局面を見せることもよくありました。
それと同時に住民に起こされた裁判も進んで行きました。
父は裁判をすることも初めて。
そのため市役所の裁判を担当する人を紹介してもらい裁判に臨んだのです。
結局1年以上かかって裁判は父の勝訴となりました。
住民のみんなももちろん裁判の応援をしていたし、役所の協力もあって裁判に勝訴したことも父には朗報でした。
ただその間心臓の不調や胃腸の不調を訴える回数も多く常に病院から処方を出してもらって、何とか裁判を乗り切ったという状態です。
その後裁判が終了してからは、精神的負担がかなり軽減されたのでしょう。
また町内会長の任期が終わったことも手伝って、父の精神状態の落ち込みは随分改善されたのです。
その後現在は、短期的な仕事を請け負いつつ、必要時に睡眠剤だけの飲むという状態で、うつは改善傾向にあります。
公務員で厳格だった父がまさかうつに!と家族全員が驚いた出来事だったのですが、いつだれに起こるか分からないというのが、うつであるということがよくわかりましたね。
また生真面目であることもうつを発症したことに関連しているかな?ただ精神的な不安や心配事が、症状の改善に大きく左右するということもよく理解できました。
一時期は自殺の考えるほど精神的に落ち込んだ父ですが、現在は自殺企図もなくなり、自分のこと以外を考えることも出来るようになりました。”