双極性障害Ⅱ型と診断されてからの仕事。【体験ブログ】
私自身がうつ病になった時のショックはとても大きいものでした。
“私は双極性障害Ⅱ型と診断され、28~30歳まで治療を受けました。
祖母が双極性障害Ⅰ型と診断されていまして、祖母の面倒をみる家族の大変さを身を持って味わっていました。
祖母が亡くなった時は正直、家族全員が解放されたような安堵感に包まれていたことを覚えています。そんな家族状況でしたから、私自身もうつ病にだけはなりたくないと思っていました。
にもかかわらず私自身がうつ病になったので、その時のショックはとても大きいものでした。
私は幼少期から感情の起伏が少なく、大人しい正確で論理的に物事を考える人間性でした。
ですので仕事もシステムエンジニアを選択し、黙々と仕事に取り組む日々を送っていました。
ある意味、適職だと自分で思っていたくらいです。
そんな私が、うつ病を発症した直接の原因は仕事でした。
仕事自体は好きだったのですが、28歳の4月に新しい部署に配属された時から、その部署の仕事内容が私の性格に全く合わないものだと思うようになりました。
具体的に言うと、今まではじっくりロジックを考え半年ごとに本番稼動させるシステムを担当していたのですが、今回配属された部署は1月に1回本番稼動させるという回転の早い職場でした。
当然、品質も悪くトラブルが続発するので、拘束時間も長く疲弊する毎日でした。
そんな部署で3ヶ月ほど仕事をしていたところ、感情の起伏が異常に激しいことに自分でおかしいと思うようになりました。
誰でも仕事が無事に終わると気持ちが浮上するものでしょうけれど、私の場合は普段の自分からは考えられないほどの起伏でした。
本番稼動で問題がないとわかるや否や、仕事をそこそこで切り上げて新宿のデパートで高価な買い物をしたり、美容室に駆け込んで奇抜な髪型にしたりしました。
その後落ち着いてくると、なぜこんなことをしたのか自分でも理解できないのです。
酔いつぶれるほどお酒を飲んだりもしました。
徐々に仕事にも支障をきたしはじめました。
今までできていたロジックを組む作業や人と話すことが、ひどく億劫で面倒なこと思えてきました。数日間しごともせずに机の前に座っていたこともあります。
そんな状況ですからプロジェクトリーダーから上司に連絡が行き、病院を受診するようにと指示を受けました。
結果双極性障害Ⅱ型と診断され休職することになりました。
うつ病になって落ち込んでいる時は、過去の失敗やつらかったことを次々に思い出し涙が止まりません。
そしてあまりの辛さと自分がこんな状況になっていることで将来を悲観し、このまま死んでしまいたいと思うくらいでした。
食事もとらないし部屋は荒れる一方でした。
当時付き合っていた男性の助けがなければ、本当に死んでいたかもしれません。
受診した病院ではジプレキサを処方され、治療に専念しました。
その前にもデパケンやマイスリーを処方されていましたが、ジプレキサで安定しました。
29歳の冬に症状が安定し復職の道を探りましたが、復職先がもとの職場になりそうでしたので思い切って退職しました。
私の場合は生真面目な性格だったので、一旦全てのしがらみをたちきったことで更に症状が良くなりました。
30歳になった時、エンジニアの能力をいかして一般事務職に転職しました。いまのところ再発はしていないです。