岸辺シローさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
自己破産、脳出血、パニック障害、うつ病を乗り越えた岸部四郎さん
岸辺シローさんは、京都府京都市出身の日本のタレント、俳優、元実業家です。
そんな岸辺シローさんは、波瀾万丈な人生を送りながら、うつを克服しました。
岸辺シロー(岸部四郎)さんの経歴、芸歴
岸辺シローさんは、中学卒業後に印刷会社へ就職しますが、後に退職し、バンドボーイとなります。
タイガースでのデビュー後に、しばらく音楽面でのアドバイザーを務めました。
その後、メンバーと渡辺プロダクションの援助により、1968年(昭和43年)7月アメリカへ渡り、留学の名目で「ミュージック・ライフ」の音楽特派員として活動します。
1969年(昭和44年)3月、タイガースから加橋かつみさんが脱退しました。そのため、兄・一徳さんからの電話によって呼び戻され、新メンバーとなります。
加橋さんの後釜としてギターを担当しますが、加入当初は実際には弾けず、弾く真似をしており、また、タンバリンを演奏したりして、加橋さんのヴォーカルパートを引き継ぐようになります。
岸辺シローさんの加入により、タイガースもユニフォームの常時着用をやめました。
そして、ステージのレパートリーではフォークソングやハードロックを取り入れるなどして、積極的にイメージチェンジを図っていき、それまでの「白馬に乗った王子様」的なアイドルのイメージより徐々に脱却していきます。
また、敢えて積極的に近畿方言を話し、また当時のアイドルではタブーとされていたメガネを着用しました。そして、司会を担当したステージにおいては、軽快なトークを披露することで次第に好評を得た岸辺シローさんは、その気さくなキャラクター性が受け入れられ、単独でのTV出演をも果たします。
ステージにおいては主に「花の首飾り」、「ホリデイ」などそれまで加橋さんがソロを担当していた曲に加え、ドノヴァンなどのフォークソングも得意としました。
また、1970年(昭和45年)には岸部一徳さんとのユニットである「サリー&シロー」名義でもアルバムを発表し、この頃には、ある程度のリズムギターおよびタンバリンをこなせるようになっていました。
そして、1970年(昭和45年)8月22日の田園コロシアムに於けるコンサートや、1971年(昭和46年)1月24日の日本武道館に於ける解散公演では、岸辺シローさんが実際に演奏しているのが映像からも確認できます。
岸辺シローさんは、タイガースが解散して間もない頃に、アメリカ合衆国で知り合い交際を続けていた1歳年上の女性と結婚します。
その後も岸辺シローさんの人気は衰えず、一時ブレッド&バターに合流した後、当時所属していた渡辺プロのザ・ピーナッツさん、天地真理さんなどのステージで司会や、当時ブームとなった青春ドラマ等の俳優として活動していきます。
1978年(昭和53年)、日本テレビ系列のテレビドラマ「西遊記」に沙悟浄役で出演します。
1984年(昭和59年)10月からは、沢田亜矢子さんの後任として日本テレビ系列の「ルックルックこんにちは」の司会を務め、その後、自己破産(後述)により降板することになる1998年4月まで、13年半に渡って担当しました。
岸辺シローさんは生来貯金が苦手なうえに、人の好さが過ぎ、連帯保証人を次々に引き受けた事、自身も浪費癖があった事、事業欲から無謀な挑戦(ヘリコプターのヘリコミューター、アメリカのディスコ買収等)を繰り返した事、などで借金が雪だるま式に増えてしまいました。
そして、税理士に調べてもらった結果、借金が1億円に膨らんでいたことが発覚し、自己破産に至りました。
この自己破産以降、その自虐的な出来事を売り物にして、バラエティ番組に出演するということが多くなっていきます。
2003年(平成15年)に脳内出血で倒れ、緊急入院し、生死の境をさ迷うも一命を取り留め、その後退院しました。
しかし、この後遺症で視野狭窄を患い、右目の視野が3分の1しかないということを自身のブログで告白しています。
2007年(平成19年)4月6日、再婚の妻が心臓発作により享年43歳で急死します。
2009年(平成21年)、身体の身動きが取れなくなり、救急車を呼んで入院し、この頃から体調が悪化し、メディアへの露出が困難となってしまいます。
2012年(平成24年)1月24日、沢田研二さんのライブツアー最終日の日本武道館公演に車椅子姿で登場しました。
そして、第2期ザ・タイガースメンバーが見守る中で「若葉のころ」を歌唱しました。
2012年(平成24年)12月、「情報ライブ ミヤネ屋」に出演し、同年2月に骨折で入院し、手術を受けてからは老人ホームで暮らしているということを語っています。
パニック障害を発症するという不幸も待ち受けていました。
岸辺シローさんは、前述の通り、自己破産や、脳出血で倒れ、右目の視力の3分の1を失ったり、また、長年連れ添った最愛の妻を亡くすなどの辛いことが重なったことにより、うつを患いました。
さらに岸辺シローさんには、パニック障害を発症するという不幸も待ち受けていました。
しかし、状況を見かねた岸辺シローさんの友人や近所の知り合い、整体師たちが岸辺シローさんをサポートする応援団を結成し、食事の世話や車での送迎をしてくれるようになりました。
この周囲の優しさのおかげで、岸辺シローさんはこのような厳しい状況の中でも、徐々にうつやパニック症が克服されつつあります。
岸辺シローさんは、うつの克服には、「自分は一人じゃない、絶対にどこかで誰かが自分のことを気にかけてくれる人がいるということを知ることが大切」だと語っています。
また、自身のブログを立ち上げたおかげで、社会との関わりを持つようになり、そのブログのコメントで大いに勇気づけられ、うつが克服されたということも語っています。
うつになると必要以上に孤独感を感じてしまい、考えなくていいことを1人でくよくよと考えこんでしまいます。
うつを発症したと感じたら、1人でいることは避け、なるべく誰か、信頼のおける人に見守ってもらうということが大事なのかもかもしれません。
そんなうつを克服した岸辺シローさんは、2013年の年末には、ザ・タイガースのライブツアーの最終日、東京ドーム公演に車いす姿で登場しました。
そして、メンバーが見守る中、「イエスタディ」を熱唱し、元気な姿をファンの前で見せています。
今後もさらに回復していけば良いなと思います。