庵野秀明さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」公開直後にうつ状態
庵野秀明さんは、山口県宇部市出身の日本のアニメーター、映画監督、実業家であり、カラー代表取締役社長でもあります。
そんな庵野秀明さんは、2012年の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」公開直後にうつ状態になったことを告白しました。
そして、「6年間、自分の魂を削って再びエヴァを作っていた事への、当然の報いでした」と振り返っています。
庵野秀明さんの経歴は?
庵野秀明さんは、幼い頃からアニメ・特撮・漫画などが大好きで、大型の建造物にも夢中であり、自分でよく絵を描いていたそうです。
中でも、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の影響は大きいと明かしています。
そして、「ヤマトが無ければ、今の自分は無い」とまで語りました。
高校2年生になると、念願の8mmフィルム機材を購入します。
その後、文化祭で披露するの実写特撮やセルアニメを制作し、フィルム作りの快感と魅力にとりつかれます。
そして、自主制作グループに所属するなど、「創る側」の道を歩むことになります。
高校卒業後、一浪を経て大阪芸術大学映像計画学科(現:映像学科)に進学。
同級生の山賀博之さんや赤井孝美さんらと知り合い、共に課題用の作品を制作したそうです。
この頃、特撮作品「ウルトラマン」の大ファンであると公言しており、それを扱った2本の8ミリ映画を自主制作しました。
2回生以降は、自主制作アニメに熱中し始め、山賀さんらと結成した自主制作映画グループ「DAICON FILM」の活動を始めています。
1983年の第22回日本SF大会では、プロモーション活動の一環として制作した「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」を上映し、総監督と主演(ウルトラマン役)を務めました。
そのほか、異例だったオープニングアニメーションも制作し、プロをも魅了して高い評価を得ました。
スタジオジブリ作品で有名な映画監督、宮崎駿さんとはプロ初仕事の「風の谷のナウシカ」以来の付き合いだそうです。
庵野秀明さんは、その現場で、監督の仕事のやり方などを学んだそうですが、折に触れ痛烈な作品批判をし合うため、ファンの間で「不仲説」が囁かれたこともありました。
例えば、かつて庵野秀明さんは「トトロ」以降の宮崎作品を徹底批判しています。
その後、自作と公開時期が被ったのが「もののけ姫」でしたが、当時インタビューを受けた宮崎さんからは、「(庵野秀明さんの作品について)3分と観るに堪えない」という、痛烈な批判を返されています。
庵野秀明さんは大阪芸大時代、学費未納による放校処分を受けて就職活動を始めました。
そして、「風の谷のナウシカ」の原画担当に採用されて山口県から上京し、宮崎駿さんに指名され担当した、クライマックスの巨神兵登場シーンは、アニメーター時代の功績としてよく話題に上がっています。
そのほか、劇場アニメ「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」やOVA「メカゾーン23」などに参加。
メカや爆発シーンのエフェクトアニメーションを担当し、「機動戦士ガンダム」の富野由悠季さんを始め、業界を代表する作家の作品に参加できたのは幸運だった、と振り返っています。
その後、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の企画に際して、「DAICON FILM」を母体の一つとするアニメ制作会社・ガイナックス設立に参加することになり、庵野秀明さんは監督として、OVA「トップをねらえ!」、アニメ「ふしぎの海のナディア」などの作品を生み出していきます。
庵野秀明監督の代表作は、1995年10月よりTVアニメが放送開始し、様々なメディアミックスが展開されている「新世紀エヴァンゲリオン(エヴァ)」シリーズです。
当時類を見ない作画クオリティや演出、謎めいた設定やキャラクターが高い評価を得たほか、賛否両論となった結末で話題になりました。
また、多数の謎解き本が出版されたり、主題歌「残酷な天使のテーゼ」がカラオケの定番曲になるなど、社会現象を巻き起こしました。
劇場版公開後にうつ病を患い、精神的に不安定な状態に陥っていたそうです。
そんな庵野秀明さんは、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の公開後にうつ病を患い、精神的に不安定な状態に陥っていたそうです。
しかも「妻や友人らのおかげで、この世に留まる事が出来た」という言葉からは、自殺未遂にまで至っていたことをうかがわせます。
ただ、庵野秀明さんは1996年、「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビシリーズが終わった後にも、精も根も尽き果て、抜け殻のようになっており、そして、深刻なうつ状態を患い、飛び降り自殺を図ろうとしていたことがあったそうです。
どうも庵野秀明さんは、「エヴァ」を作るたびに凄まじい激務で精神をやられていたらしいのです。
そのため、あまりにも自殺未遂の頻度が多いので、ガイナックスのメンバーはこの件に関して、「ああ、また言ってるよ…」と冷ややかな目で見ているそうです。
庵野秀明さんは、宮崎駿監督が2013年のアニメ映画「風立ちぬ」で主人公の声役を任せてくれたことなどから立ち直りのきっかけをつかみ、2014年初めにようやくスタジオに戻れたということです。
そして、リハビリを1年以上続けて、徐々に仕事を増やしていったとしています。
庵野秀明さんは、2015年には、2年以上もファンを待たせた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の完成に向けた作業も進めていることを明らかにしました。
ゴジラ新作も、2013年5月に主題を決め、6月に映画の企画案を東宝に出し、プロットなどの作成も始めたといい、「本作もシン・エヴァも全力で作っていく」と決意をつづっています。
うつ状態からは完全に立ち直っているようですので、今後の活躍を期待したいと思います。