32歳男性・教師の男性です。典型的な鬱病を発症しました。【体験談】
鬱病です。と医師から正式な診断名を聞いたのは、32才の時でした。
鬱病も心療内科も今のような一般的に知れ渡っていない頃でした。
今でこそ、ネットの普及やSNSが当たり前になり、情報が豊かになり、知られわたるようになりましたが、当時の私の職業は教諭でした。
学校の先生と言えば分かりやすいかもしれません。
学校の先生のことを正式には教諭といいます。
さて、その教諭の仕事をして10年以上、自分で言うのも恥ずかしいですが子どもや保護者からも信頼があり、校長にも意見がいえるほど、実績をあげるくらい仕事をきちんとこなしていました。
今考えてみたら、そのような真面目にきちんとという性格にも原因があったのかもと思います。
ある学校へ転勤が決まり、赴任して間もなくのことです。
一緒に学年を組む主任の先生が、かなり年配の女性だったのですが、これがもうかなりのワガママで、やりたい仕事しかしない、嫌な仕事は丸投げしてくる。
そればかりか、すでに決まっている、学級の子どもの名簿を見て、自分が担任したくない子どもを私に担任するように押し付け、自分のお気に入りの子どもを引き取るという、やってはいけないことを平気でする人でした。
それでも、世の中には合わない人もいるど割り切ろうと努力し、誰もが担任したくないという男の子も担任しながら、信頼関係を作り、5月の家庭訪問では、その子の母親が、涙ながらに我が子の変容に話してくれて感謝をされました。
しかしながら、そんな努力とはうらはらに、そのワガママ女性教諭の行為はエスカレートしていき、私のキャパもいっぱいいっぱいになり、あきらかに朝がつらい、微熱が続いているという変化が現れ始めました。
内科に行くも、疲れているのかも、という程度の診察結果でした。
原因がわからないのに、あきらかに体調かおかしく、仕事にも集中しにくくなり、思考力も低下していき、どうしていいかわからなくなりました。
ストレスチェックというシートがたまたまあり、項目をチェックして、読んでみたら、うつ病の可能性あり、すぐに専門医に診察してもらってください。
もう、その通りにしようとすぐに病院を調べてみると、心療内科が見つかりました。
診察といっても、経緯を話したり、症状を伝えたりするのですが、30分は話をしたように思います。
医師からの言葉は、即答で「典型的な鬱病です。」という言葉でした。
どこかで覚悟をしていたものの、やはりショックでした。
気持ちが落ち着いていくように、投薬治療ということで、処方箋をいただいたのですが、びっくりする薬の量でした。
安定剤として、パキシル、デパゲン、リボトリール、セニランを服用しました。
また、寝つきを良くするため、ハルラック、フルニトラセパム、他に当時はまだ許可されていたエリミンも服用しました。
こんなに飲んで身体は大丈夫かと不安もありましたが、たしかに服用することで一定の精神的な落ち着きが感じられ、長年続けていました。
その後、職場が変わったりと環境の変化と共に、薬の種類も減らしていってもらいましたが、ある意味、薬物依存のような状態に、人間として大丈夫なのかという、別の不安もありました。
友人も心配してくれて、新型うつ病の本を購入して持ってきてくれたりしました。
たしかに状態は似てるのですが、医師が言うには、新型うつ病はうつ病のうちに入らないとのことでした。
しかし、そのように、友人も心配してくれるほど、周りから見ていておかしな状態だったのだと思います。
鬱病でつらいことは多々ありますが、まだまだ世間的に鬱病の人という歪んだ見方があることが最もつらいと言えます。
ストレスチェックのシートがなけれは、今、どうなっていたのかと考えてみたら、あの時に心療内科の扉を開けたことは、今の自分の存在を助けてくれたのだと思います。”