松本人志さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】



松本人志 うつ病

東日本大震災の後、軽いうつ状態だった松本人志さん

松本人志さんは、よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)に所属している、日本のお笑い芸人・お笑いタレント、漫才師、作家、作詞家、映画監督、俳優、司会者であり、ダウンタウンのボケ担当でもあります。

そんな松本人志さんは、東日本大震災の後、軽いうつ状態になっていたと、日本テレビ系列のニュース番組「NEWS ZERO」のインタビューで明かしています。

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松本人志さんの経歴、芸歴

松本人志さんは、身長172cm、体重69kgで、兵庫県尼崎市の出身です。
小学校・中学校の同級生にダウンタウンの相方である浜田雅功さんと構成作家の高須光聖さんがいます。

浜田雅功さんと共に吉本総合芸能学院(NSC)に入学(同校の1期生)し、入学当初から浜田雅功さんとコンビを結成しています。
その後、コンビ名をダウンタウンとして舞台やテレビ番組に出演していき、1987年4月に開始した初の看板番組「4時ですよーだ」を皮切りに、翌年には深夜のコント番組「夢で逢えたら」で東京進出を果たします。

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ系列)、「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系列)等においては、出演のほか番組の企画・構成も松本人志さんが担当しています。
1993年から1995年にかけて、週刊朝日に連載していた自身のエッセイ(オフオフダウンタウン)が「遺書」及び「松本」として単行本化され、それぞれ250万部、200万部を売り上げるベストセラーとなります。

1990年代後半より、「一人ごっつ」シリーズ(フジテレビ系)、入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡(仮題)」、料金後払い制ライブ「松風’95」、コントビデオ「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM」など、個人での活動も積極的に行うようになっていきます。

2000年には、自身の原案でテレビドラマ「伝説の教師」(日本テレビ系、SMAPの中居正広と共演)に主演しました。

2001年10月4日より、ラジオ番組「放送室」(TOKYO FM)を高須光聖と共に開始。

この番組は、2009年3月28日の番組終了まで約7年半の長期にわたり放送されました。

2007年、企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画「大日本人」を発表。映画監督デビューを果たし、日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待されました。
これに伴って、2008年の東京スポーツ新聞社主催である、「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」において、話題賞を受賞します。

2004年からは、「人志松本のすべらない話」(通称:すべらない話)のホスト及び企画、2009年からは大喜利の祭典「IPPON グランプリ」の大会チェアマンとして出演(いずれもフジテレビ制作)しています。

これらの番組では、あまり知名度の無いお笑い芸人の才能の発掘や若手芸人の育成にあたる役割も担っています。

「すべらない話」では、関西での活動を中心としていた小籔千豊さんや、矢野・兵動の兵動大樹さんがMVSを受賞し、全国区へとブレークするきっかけを作りました。
また、「IPPON グランプリ」においては、「R-1ぐらんぷり」、「爆笑レッドカーペット」等をきっかけにブレイクしたバカリズムの大喜利能力の圧倒的な高さを発掘しました。

2010年6月、左股関節に股関節唇損傷を患い、股関節の手術を受けるため1~2ヶ月程度の休養を発表。
その後、8月18日収録の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」で仕事復帰を果たし、同年10月15日にNHK総合でテレビでは実質的に9年振りとなるコント番組「松本人志のコント MHK」が放送されました。

翌10月16日には、同局のドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で「松本人志スペシャル」が放送され、 2015年12月、第18回みうらじゅん賞を受賞しています。

そんな松本人志さんでも、東日本大震災の後は、軽いうつ状態になっていたそうです。

当時、震災によってテレビではバラエティ番組は中止を余儀なくされていました。テレビ番組は、報道番組ばかりになっており、数日後から放送されたバラエティ番組もその多くは総集編となっていました。

松本人志さんは楽屋に入っても、「いったい自分に何ができるのか」と思い、まったくやる気が起きなかったということです。
これまでもコンディションの悪い時はあったそうですが、「あの時だけはさすがに無理かなと思って。何でこんな仕事を選んでしまったのか、また何でこんな時にダウンタウンは生放送をやる立場になったのかってすごい思った」と松本人志さんは当時を述懐しています。

だが、生放送で、しかも自分はメインの司会ですので、出ていくしか選択肢はありません。

「はっきり覚えてないんですけど、何か一言言ったんですよ。
そしたらお客さんがドッと笑ったんですよね。
あん時に『あ、俺いけるわ』って思ったんですよ。
『俺、結構、何かやれるかも』って思って。
そこからですね、まだまだ笑いをやっていく意味はあるのかな、とは思いましたね」

と、松本人志さんは当時のことを振り返っています。

松本人志さんはその日、いつものやる気のなさそうな佇まいで登場し「こういう時だから楽しい番組にしたいと思うんですけどー」と前振りした上で、「なにぶん山崎邦正がいるので…」と後輩をイジり、すると即座に浜田雅功さんは「マジッすかぁ…」と返しました。そんな何気ないやりとりに、笑いに飢えていた客席はドッと湧いたそうです。

その時、視聴者には笑いが必要でした。

しかし、それ以上に松本人志さんのようなお笑い芸人においても、観客の笑い声が必要だったのでしょう。
観客も救われたのでしょうが、その観客の笑い声によって、松本人志さんも同じくらい救われたのではないでしょうか。

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