音無美紀子さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
うつを発症し克服した経験がある音無美紀子さん
音無美紀子さんは、東京都出身で、オフィスのいりに所属している、日本の女優です。
数々のテレビや映画、舞台等で活躍している女優の音無美紀子さんは、夫は俳優の村井国男さんで二人の子供がいます。
この母親と女優を両立させているる姿勢に、同世代の女性から共感を得ています。
そんな音無美紀子さんは、うつを発症し克服した経験を持っています。
音無美紀子さんの経歴・芸歴は?
音無美紀子さんは、服飾業を営む両親の6人姉妹の四女として生まれ、頌栄女子学院高等学校を卒業しています。
同校在学中の1966年、幼なじみの俳優である地井武男さんの勧めで、音無美紀子さんは劇団若草に入団します。
1967年、青春学園シリーズの「これが青春だ」の最終回でテレビドラマデビューを果たし、続けて「でっかい青春」でレギュラー出演を果たします。
1971年には、「お登勢」の主演に抜擢され、以後「はじめまして」、「ありがとう」、「たんぽぽ」、「愛」など多くのホームドラマに出演するようになり、特に石井ふく子さんのプロデュース作品には多く起用されました。
また、「もの言わぬ愛」、「手紙」では、その演技でお茶の間に大きな感動を与えました。1975年、音無美紀子さんは村井国夫さんと結婚し、村井さんのことは「でっかい青春」の頃に熱を上げているレギュラー女生徒がいて知っていたが「まったく関心を持っていなかった」と語っています。
その後、一男一女の子宝に恵まれ、娘(村井麻友美さん)も女優として活動しており、娘はテレビドラマで音無美紀子さんが演じた役の若年期を演じたことがあります。また、妹は元女優の音無真喜子さんです。
乳がん発症、そして全摘手術を行い、うつ病を発症
音無美紀子さんは38歳の時に乳がんを患い全摘し、その後うつ病にも悩まされるようになり、生きる意欲を無くして死にたいと思ったことも何度かあったそうです。
音無美紀子さんの趣味はモダンダンス、ギター、料理、茶道、華道であり、日本舞踊・藤間流の名取で、時代劇や舞台でも活躍しています。
2011年12月には、東日本大震災支援活動の一環として、「音無美紀子の歌声喫茶」を立ち上げ、被災地でチャリティ公演などを行っています。
音無美紀子さんは、前述の通り、38歳の時にがんを発症し、乳がんを全摘出していますが、当時は病気を隠し続けていたようです。
そのため、乳がんの苦しさなどを誰にも吐露することができず、これが後のうつや自殺願望などにつながってしまったようです。
音無美紀子さんの家族はがん家系でもなかったので、当初はがんの可能性を疑うこともなく、胸のしこりには気づいていたようですが、がんを疑っていなかったのでそのまま放置してしまいました。
この初期の放置が全摘出という大きな手術につながってしまったのかもしれません。
そして、音無美紀子さんは、誰にも知られたくなかったので、ひそかに手術後のリハビリに励む毎日を過ごしていたそうです。
ただ、幼稚園児の我が子を抱きしめられないという不満や、再発などの不安が蓄積されていきました。
さらに、決定的な出来事として、乳がんの手術を公表していない状況で、新しいドラマの衣装選びがきっかけで本読みがまともにできず、撮影前日にドラマを降板したということがありました。
このことが音無美紀子さんの心に
「撮影前日の降板によって、マスコミに精神病だと報道されるのでは」
とプレッシャーになり、どんどん落ち込んでしまって、家に引きこもりがちになってしまいます。
その後、食欲不振、不眠症を患うようになりました。
何をして楽しくなく、やる気もなくなってしまい、やがて死を考えるようになり、幼い長男とこのまま陸橋から飛び降りようかと考えたこともあったそうです。
また、夫の村井さんに精神科の受診を勧められていましたが、うつの知識がなかったため、断っていました。
うつを克服したきっかけは当時7才の娘さんの一言
そんな音無美紀子さんが、うつを克服したきっかけは当時7才の娘さんの一言だそうで、「ママはどうして笑わないの?」と聞かれたことだったそうです。
音無美紀子さんは、子供を悲しませたくない一心で、それ以来嫌だった鏡を見て笑うように練習し始めるようになったそうです。
また、音無美紀子さんのうつ状態のせいで、どこにも出かけられない時に、娘さんの「一緒に料理をしたい」という願いを聞いた時もありました。
そして、目玉焼きがきれいに出来た時に「やればできるんだ」という感情が芽生えていったそうです。
そして、少しずつ家事をこなすことで自信を取り戻し、音無美紀子さんは、うつを克服していきました。
音無美紀子さんが、うつの克服にすすめるのは「降参する」という生き方だそうです。
いつも頑張ってしまう人は、真面目で何でも真剣に取り組んでしまうため、手を抜くことを知りません。
このように、いつも張り詰めた気持ちで弱音を吐かない、頑張ってしまう人にこそ、ホッと息抜きをして自分の気持ちいい時間を作り、人生を豊かにすることが必要だと、音無美紀子さんは言います。
そして、本当に大切なものを守るために、今できることと、できないことを整理して、「できない」と「降参する」ことも、実は大切なことなんだなって気づいたそうです。
今は、肩の力を抜いて、毎日を楽しめているそうなので、今後も元気に過ごしていってほしいなと思います。