2度のうつ病を克服してきた千葉麗子さん
千葉麗子さんは、元市民活動家で、日本の声優・元女優・アイドルで、実業家・ヨーガインストラクターでもあります。
そんな千葉麗子さんは、「チバレイ」の愛称で親しまれ、アイドルから女性起業家に転身しましたが、2度のうつ病を克服してきたそうです。
千葉麗子さんは、1975年、大阪府大阪市天王寺区に生まれました。
ただ、父親が福島市の職員に採用されたので、16歳の頃までは福島県福島市で育ちました。
その後、千葉麗子さんは、両親から酷いDVに遭っており、早く家を出たくてアイドルを目指すようになったそうです。
そして、福島県福島市では、福島市立福島第四中学校、福島県立福島南高等学校を経て、その後、東京都立代々木高等学校を卒業しました。
それから、1991年に千葉麗子さんはアイドルグループ「オーロラ五人娘」のメンバーとして、芸能界デビューを果たします。
1992年には、「スーパー戦隊シリーズ」の第16作となる「恐竜戦隊ジュウレンジャー」で、メイ/プテラレンジャー役で出演し、注目を集めるようになります。
1993年には、フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「ひとつ屋根の下」に出演しました。
そのほか、大正製薬アイリスCL-1やネッスルクランチやなどのCMに出演し、その翌年にはドラマ「南くんの恋人」に出演しています。
また、同年に「餓狼伝説SPECIAL」の主題歌「Non Stop! One Way Love」でソロCDデビューも果たしています。
千葉麗子さんはPC系の知識が豊富であり、パソコン雑誌や、黎明期のネットワーク関連誌の誌上にも頻繁に登場していたことから、「電脳アイドル」とも呼ばれていました。
パソコンに興味を持ったのは、当時、所属していた芸能事務所にMacintosh LCがあったことがきっかけであったそうです。
そして、パソコン通信のEYE-NETやNIFTY-Serveに、自分のフォーラムを持って、ファンと交流していたとのことです。
千葉麗子さんは、1995年5月に芸能活動を引退。
その後、ゲームソフトウェア会社に一般OLとして就職し、同年11月にはベンチャー企業 「チェリーベイブ」を起業しました。
同社は、アイドル時代から造詣の深かったパソコンなどのソフトウェアを扱う企業です。
その主なソフトウェアとしては、「ありす in Cyberland」(グラムス)のプロデュースなどを行なっていました。
千葉麗子さんは、1998年9月21日に、サウンドクリエーターのDJ KIRIJAさんと結婚。
そして、翌年9月に第一子となる長男を出産し、その翌年にはヨーガのインストラクター資格をとるための勉強をはじめました。
そして、2002年にヨーガのインストラクター資格を取得。
その後、2004年7月にはNHK教育テレビのテレビ番組「まる得マガジン」において、ヨーガ講座を担当しました。
千葉麗子さんは、芸能界を引退した後は女優・アイドルとしての活動は無くなりましが、前述のようなヨーガ関連の番組に講師として出演したり、「THE KING OF FIGHTERS EX ~NEO BLOOD~」では、葉花萌役の声優も務めています。
その他のテレビ番組では「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」、「スマステーション」、「学べる!!ニュースショー!」、「婚カツ!」、「クイズ雑学王」などに出演しました。
2010年には、週刊プレイボーイ、フライデーにセミ・ヌードのグラビアを掲載し、さらに、清水清太郎さん撮影の写真集である「WITHIN」、およびDVDを発売しました。
2010年9月13日には、渋谷で開催されたコラソンナイト神南において、DJ CHIBA-REIとして出演。
そこで、DJデビューを果たしています。
2011年8月5日~7日には、3日間限定の「TENGA展 ~TENGA 3D MUSEUM OF ART~」において、写真家・荒木経惟さんとコラボした写真作品を発表しました。
2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を機に「子供のためにも原発を何とかしなければ」という思いを抱いた千葉麗子さんは、首都圏反原発連合に加わるようになり、毎週金曜に国会前で行われていた原発反対デモに参加するようになります。
2012年2月4日、防衛省にて自らのヨーガの講師を務め、2013年1月25日発売の週刊フライデーでは、藤代冥砂さんの撮影による「千葉麗子 決意の「NO NUKES」ヌード」を掲載します。
2014年1月に公開された「獣電戦隊キョウリュウジャーVSゴーバスターズ 恐竜大決戦! さらば永遠の友よ」においては、21年ぶりにプテラレンジャーの声を担当。
公開以前から自身のツイッターでも出演することを公開していました。千葉麗子さんは、2014年頃から右翼団体の「民族の意志同盟」に共感したそうです。
そのため、街宣活動などに参加していることを、自身のTwitterでたびたび発信しています。
また、2016年4月には、かつて自身が所属していた左翼団体の暴露本である「さよならパヨク チバレイが見た左翼の実態」を青林堂から出版しました。
そんな千葉麗子さんがうつ病を発症したのは、摂食障害からだったそうです。
千葉麗子さんは、子どもを出産したあとの体型回復にとヨガを始め、インドに行って修行するほどの熱の入れようでした。
しかし、そのような完璧主義が災いしたのか、食べすぎと嘔吐の繰り返しになってしまい、冷蔵庫の中のものを大量に過食しては、罪の意識を感じては吐き出すという生活から抜け出せなくなってしまったそうです。
千葉麗子さんの場合、夫に助けを求めたのが転機となりました。
千葉麗子さんの旦那様は、精神的な病気にかかった妻を否定しないで治療を受けさせ、さらに、家事を手伝っていたそうで、そのような夫の協力は千葉麗子さんにとって大きな支援となりました。
また、うつ病は、日によって症状が重くなったり軽くなったりする病気で、自分が沈み込んでいる時に仲間が好調であれば、助けになってもらえます。
ただ、逆の場合もあり、症状が重いときには、慰めの言葉もあまり効果が無く、ただひたすら、症状が軽くなるのを待つし
かないという時期も存在します。
そんな時に、必要なのはそのような状態を理解してくれる、同じ病気を持つ仲間の存在です。
千葉麗子さんの場合、この仲間の存在が大きかったようです。
もし、自分の周りにうつ病を持っている方がいたら、軽々しく慰めの言葉をかけないようにし、もっと深く病気のことを理解するようにしようと思います。