高島忠夫さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】



高島忠夫 うつ病

重度のうつ病を発症して、レギュラー番組を降板した高島忠夫さん

高島忠夫さんは、東宝芸能に所属する、日本のタレント・俳優・司会者です。
そんな高島忠夫さんは、1998年に重度のうつ病を発症して、レギュラー番組を降板し、世間に衝撃を与えました。

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高島忠夫さんの経歴・芸歴は?

高島忠夫さんは、現在の神戸市東灘区御影町である、兵庫県武庫郡で、姉妹弟のいる4人きょうだいの長男として出生しました。
祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を称していたが弟子もおらず、生涯定職についていないという家柄だったそうです。

神戸一中に進学し、その同じクラスに作家の小松左京さんと國弘正雄さんがいたそうで、小松さんとは、一緒にバンドを組んでいたこともあるそうです。
六・三・三制になり、神戸一中五年から神戸高三年へ進学しましたが、神戸高を退学してしまいます。

1年間ジャズに没頭した後、関西学院高等部へ今で言う「水泳推薦」で入学し、その高校では団鬼六さんがボーカルだった軽音楽クラブに所属しました。

1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入りし、そのスターレット同期生には天知茂さん、久保菜穂子さん、小笠原弘さん、松本朝夫さんらがいます。映画界入りしたことにより、関西学院大学は2年で中退しました。

そして、本名の高嶋忠夫から芸名を高島忠夫として、21歳で上京。

東京暮らしを始め、俳優座で俳優の勉強とボイストレーニングをし、このときに歌の才能が認められて、本格的に歌の練習をやるよう勧められました。
1952年の映画「恋の応援団長」でデビューし、同年に「チョイト姐さん思い出柳」で初主演し、これ以後、新東宝で主演級の歌うスターとして活躍します。

高島忠夫さんの映画出演は1950年代から1960年代が中心であり、100本以上の出演作の大半がこの時期のものとなっています。
特に「坊ちゃんシリーズ」の主役は当たり役となりました。また、作曲もこなし、1958年には「東京ダーク・ムーン」をフランク永井に提供しています。

その後、「君はミュージカルスターになれる」との菊田一夫さんの誘いを受け、東宝に移籍し、東宝ミュージカルのほか、コミカルな演技が印象的な「キングコング対ゴジラ」や「日本製の本格的ミュージカル映画」として後年評価された「君も出世ができる」などの東宝映画や、東宝系列の宝塚映画に出演するようになります。

1963年には、日本初のブロードウェイミュージカルとして上演された「マイ・フェア・レディ」に出演して評判となります。

女優の寿美花代さんとは、1961年に寿美さんが司会のテレビ番組「季節のミュージカル」にゲスト出演したことから知り合いました。
そして、2年間の交際を経て、1963年に結婚し、「ごちそうさま」で長く夫婦で共演していました。結婚後、長男・道夫をもうけるが、1964年に生後5ヶ月で当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われてしまいます。

1968年には、東映動画の「アンデルセン物語」で声優をこなし、ミュージカル仕込みの明朗なテノールの歌声を披露しています。

東宝移籍後は壮年にさしかかるとバイプレーヤーとして脇に回り、「土曜ショー」の司会者をしたことをきっかけにテレビの仕事が増え始めます。

そして、1970年代からは本格的にテレビに進出して司会業を行うようになり、料理番組「ごちそうさま」やクイズ番組「クイズ・ドレミファドン!」などの司会業の他、「ゴールデン洋画劇場」では映画解説をつとめました。

1970年代半ばに暴飲暴食によって、高島忠夫さんは糖尿病を発病

1970年代半ばに暴飲暴食によって、高島忠夫さんは糖尿病を発病し、一時は体重が120kg近くになりましたが、和食中心の食事にして、3年後に体重を70kg台に落としました。

1980年代後半に次男の高嶋政宏さん、三男の高嶋政伸さんがともに俳優としてデビューし、以降は芸能一家の代表格として親しまれるようになります。

高島忠夫さんは、糖尿病を発症して以後、一時禁酒していましたが、ダイエットに成功した頃より飲酒を再開しました。

そして、不眠症で酒と睡眠薬に頼って眠る日々であったため、アルコール依存症になってしまいます。

1997年から1998年にかけて、26年間続けて愛着のあった仕事である「ごちそうさま」の司会交代や母親が入院(2000年死去)したこと等々がきっかけで、前述の通り、1998年に重度のうつ病を発症しました。

そして、レギュラー番組の「ゴールデン洋画劇場」、「暴れん坊将軍」など4本を降板して治療にあたるようになります。

これらの番組の降板にあたっては、糖尿病であると説明していました。

翌年に症状が改善したことから仕事復帰し、復帰初仕事のトーク番組「徹子の部屋」の出演の際に、うつ病だったことを告白しましたが、無理がたたって再発し、再び療養していました。
しかし、2003年ごろから徐々に芸能活動を再開、2007年春からは完全復帰し、以降は家族とともにうつ病への理解を深める活動を行っています。

長男の死がうつ病の原因

高島忠夫さんは、うつ病の原因について、13年に『カスペ!』(フジテレビ系)に出演した際、長男の死を挙げています。

前述の通り、まだ生後5ヶ月だった赤ちゃんを家の家政婦である17歳の少女に殺害されてしまいますが、この動機について、高島夫妻のファンだった少女は、「長男へ愛情が移ってしまい、自分は疎遠に扱われるようになった」ことで犯行に及んだということでした。

その後、夫婦は長男の話題について口にすることはなく、そして高島忠夫さんは長男の死を忘れるように、仕事に没頭、カメラの前で明るいキャラクターを演じていました。

しかし、それはつらい事件を忘れるための虚勢であり、そうして、徐々に精神をむしばみ重度のうつ病を患ってしまうようになります。

さらに、高島忠夫さんは精神的な病のほかに、糖尿病や心臓病を患うという度重なる困難に直面しました。

そうすると、看病をしていた妻をはじめ、家族全員がうつ病のような状態になってしまいました。

しかし、家族に支えられた高島忠夫さんは、現在、奇跡的な回復を見せています。
これからも芸能一家として、家族で仲良く活躍していってほしいなと思います。

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