エイブラハム・リンカーンさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
第16代アメリカ合衆国大統領リンカーンは双極性障害だった。
エイブラハム・リンカーンさんは、弁護士、イリノイ州議員、上院議員を経た後の1861年3月4日に、第16代アメリカ合衆国大統領に就任した、アメリカ合衆国の政治家・弁護士です。
エイブラハム・リンカーンさんは、アメリカ合衆国において、最初の共和党所属の大統領であり、アメリカ合衆国の大統領を務めた個々の人物の業績をランク付けするために実施された、政治学における調査結果「歴代アメリカ合衆国大統領のランキング」において、「最も偉大な大統領」の1人にしばしば挙げられる政治家です。
そんな、エイブラハム・リンカーンさんは、何度かうつ病を経験しています。
エイブラハム・リンカーンさんは、1809年、ケンタッキー州に生まれ、その両親は無学な開拓農民でした。そのため、エイブラハム・リンカーンさんも基礎教育をわずかに受けたのみであり、それ以後は全て独学で学んだそうです。
エイブラハム・リンカーンさんは、1832年、23歳のときに政治の世界に入ることを勧められました。
そして、イリノイ州議会議員選挙に出馬したのですが、落選してしまったため、その後は郵便局長、郡測量士を務めた後に弁護士になります。
1834年、エイブラハム・リンカーンさんは、州議会議員選挙へ二度目の出馬。
そして、その選挙で当選を果たしたため、1846年にはアメリカ合衆国下院議員に選出されます。
その後、1860年には、共和党大統領候補に選出され、大統領選挙において、民主党候補を破り、第16代大統領となります。
奴隷制の拡張に反対するエイブラハム・リンカーンさんの当選が決まると、分離主義者達は連邦から脱退する意思を明らかにしました。
そして、1860年12月、サウスカロライナ州が脱退条例を採択します。
エイブラハム・リンカーンさんは、分離独立を宣言した南部諸州が構成した国々で構成される、アメリカ連合国の認知を拒否し、脱退を違法だと宣言します。その後の和平協議は失敗してしまったため、1861年4月、南軍はサウスカロライナ州サムター要塞を攻撃し、ここから南北戦争が始まりました。
エイブラハム・リンカーンさんは北軍の最高司令官として直接戦争を指揮し、戦時中の1862年に奴隷解放宣言を行います。
1863年7月のゲティスバーグの戦いでは北軍が大きな勝利を収めました。その際、エイブラハム・リンカーンさんは
「人民の、人民による、人民のための政治」
で有名な「ゲティスバーグ演説」を行います。
1865年4月に南軍は降伏しますが、その6日後、エイブラハム・リンカーンさんは観劇中に拳銃で撃たれ、翌朝息を引き取りました。
メアリー・トッドさんとの結婚が双極性障害を患う原因
エイブラハム・リンカーンさんがうつ病の双極性障害を患う原因となったのは、メアリー・トッドさんとの結婚だったのではないかといわれています。
エイブラハム・リンカーンさんが庶民階級の出身だったため、上流階級の出身で、社交的ですべてのものを兼ね備えていたメアリー・トッドさんが、エイブラハム・リンカーンさんに劣等感を与えてしまったようなのです。
エイブラハム・リンカーンさんは、このメアリー・トッドさんとの結婚を受けるかどうか悩むうちに双極性障害を発症し、極度のうつ状態に陥ってしまい、その症状は、死にたいという思いを強く持ってしまう希死念慮という重い症状だったそうです。
この状態を心配したエイブラハム・リンカーンさんの親友であるジョシュア・フライ・スピードさんが自分の故郷で静養するように勧めたため、エイブラハム・リンカーンさんは一年ほど静養します。そして、その後、エイブラハム・リンカーンさんは回復し(ただ、今では、この時に軽躁状態になっていたと考えられています。)、メアリー・トッドさんと結婚します。
ただ、エイブラハム・リンカーンさんは結婚後も双極性障害の症状を繰り返し発症し、軽躁状態の時には饒舌になり、うつ状態のときには落ち込んでしまうということを繰り返しました。
「ゲティスバーグ演説」この時も軽躁状態だったそうです。
その後、エイブラハム・リンカーンさんはこの双極性障害を抱えながらも下院議員に当選し、前述の通り、1960年の大統領選挙で民主党のスティーブン・ダグラスさんを抑え、第16代アメリカ合衆国大統領となります。
しかし、この時もエイブラハム・リンカーンさんは軽躁状態にあったそうで、この状態にあったことがプラスに作用したとも考えられています。
そして、エイブラハム・リンカーンさんの演説の中で歴史に残っている「ゲティスバーグ演説」、これはたった2分程度、272語の短い演説だったそうですが、この時も軽躁状態だったそうです。
エイブラハム・リンカーンさんは、人物が大きく、敵を憎まず寛大で人間愛に満ちており、そのため敵からも信頼された面があったそうです。
また、死を恐れず、正義のために戦う勇気を有していて、このような面については、双極性障害が良い方向に出たのではとも考えられています。
普通、人生にとって大きな障害となる双極性障害ですが、エイブラハム・リンカーンさんの場合、その立場や時代背景も関係したとは思いますが、障害による症状が良い方向に働いた一例といえるのではないでしょうか。