ウィンストン・チャーチルさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】



チャーチル うつ病

うつ病に苦しんでいた英国首相ウィンストン・チャーチル

ウィンストン・チャーチルさんは、イギリスの政治家で、軍人であり、作家でもあります。
ウィンストン・チャーチルさんは、エネルギーに満ち溢れ、鉄の意思によって、頑強に戦い抜くイメージがありますが、そのイメージ通り、第二次世界大戦において英国を勝利へ導いた首相です。

ウィンストン・チャーチルさんは、2003年の英国における「誰が最も偉大な英国人」のBBCの投票において1位に選ばれていますが、以外にも、うつ病に苦しんでいたそうです。

ウィンストン・チャーチルの経歴は?

ウィンストン・チャーチルさんは、サンドハースト王立陸軍士官学校において、軽騎兵連隊に所属しました。その後、1900年のイギリス総選挙において、保守党候補として初当選します。

ただ、ジョゼフ・チェンバレンさんが保護貿易論を主張したため、保守党から自由党へ移籍し、ヘンリー・キャンベル=バナマンさんによる自由党政権が誕生すると、ウィンストン・チャーチルさんは、植民地省政務次官に就任します。

そして、英領南アフリカ問題に取り組み、アスキス内閣においては、内務大臣・通称大臣に就きます。
また、ロイド・ジョージさんとともに、急進派として社会改良政策に尽力しましたが、この時、暴動やストライキ運動に直面したため、社会主義への敵意を強めました。

その後、ウィンストン・チャーチルさんは、海軍大臣に就任し、第一次世界大戦時には軍需大臣、海軍大臣として戦争を指導。

しかし、ガリポリ上陸作戦、アントワープ防衛で惨敗を喫し、辞任しました。

ただ、ロイド・ジョージ内閣において、ウィンストン・チャーチルさんは、再入閣を果たし、戦後は航空大臣と戦争大臣に就任。
反共産主義戦争を主導し、その結果、赤軍のポーランド侵攻は撃退しましたが、当時の首相は戦争への干渉を快く思わなかったため、植民地大臣へ転任となりました。

そこでウィンストン・チャーチルさんは、イギリス委任統治領のパレスチナやイラク政策、ユダヤ人のパレスチナ移民を推し進めました。

第二次世界大戦を機にして、ウィンストン・チャーチルさんは閣僚へ復帰します。

ただ、北欧戦で惨敗してしまいますが、この惨敗の責任はチェンバレン首相に帰せられたため、1940年に後任としてウィンストン・チャーチルさんは首相職に就任。
1945年まで戦争を主導しました。北アフリカ戦線、西方電撃戦、ギリシャ・イタリア戦争でウィンストン・チャーチルさんはドイツ軍に敗北します。

しかし、バトル・オブ・ブリテンでは撃退に成功し、独ソ戦の開始に備え、ソ連と協力。
また、アメリカとも同盟関係を築きました。

しかし、1941年12月以降、ウィンストン・チャーチルさんは、東方植民地やマレー半島一帯の相次ぐ陥落、インド洋からの放逐などの失態を犯してしまいます。
さらに、ドイツ軍侵攻によるトブルク陥落で大英帝国の威信が揺らぎ、何とかイギリスの植民地として残っていたインドやエジプトでの反英闘争激化を招きました。

1944年6月、ノルマンディー上陸作戦によって攻勢に転じたものの、1945年5月、ドイツが降伏し、それによって労働党が挙国一致内閣を解消。この後の総選挙で保守党は惨敗し、ウィンストン・チャーチルさんは野党党首に落ちました。

しかし、冷戦下で独自の反共外交を行い、そして、ヨーロッパ合衆国構想などを推し進めた結果、イギリスはアメリカとソ連に並ぶ戦勝国の地位を得ました。しかし、大戦終結後に大英帝国は植民地のほぼ全てを失うこととなりました。

そのため、大英帝国は米ソの後塵を拝する国に転落しました。

1953年には、ノーベル文学賞を受賞しています。

ウィンストン・チャーチルさんは、1951年に再び首相を務め、その政権時には、米ソに次ぐ原爆保有を実現し、東南アジア条約機構(SEATO)への参加など反共政策も進め、1953年には、ノーベル文学賞を受賞しています。そして、ウィンストン・チャーチルさんは、1955年にアンソニー・イーデンさんに首相職を譲って政界から退きました。

ウィンストン・チャーチルさんの父親の一族には、うつに苦しみ、早死にされた人が多くいました。そのため、ウィンストン・チャーチルさんも父親のような運命をたどることを非常に恐れていました。

そんな中、1904年、国会での演説中、ウィンストン・チャーチルさんは突然、言葉を失い、混乱した様子で、手で顔をおおい、椅子に座り込んでしまいました。

そして、「私の話を聞いてくれて、どうもありがとう」と小さい声で呟いたそうです。
周囲の人は、その姿がウィンストン・チャーチルさんの父親と同じ症状に見えたそうで、実際、この後ウィンストン・チャーチルさんは、うつ状態になり、神経に異常をきたしたという噂が流れたそうです。

その後、一度は回復しますが、ウィンストン・チャーチルさんは、生涯にわたって、何度もうつ状態に襲われるようになったとのことです。

ウィンストン・チャーチルさんの当時の精神症状は、現在では「躁うつ病」であったと考えられています。

気分の振幅が激しいのが「躁うつ病」の特徴で、ハイな気分の時には気分が高揚し、睡眠が必要なく、自分が万能のように感じられるそうです。

ウィンストン・チャーチルさんが戦時中に、超人的に働き続けられたのも、このためではないかと考えられています。

ご冥福をお祈りいたします。

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