シェリル・クロウさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
20代のときうつに苦しんでいたシェリル・クロウさん
シェリル・クロウさんは、アメリカ合衆国ミズーリ州ケネット出身のカントリー&ウェスタンを中心にしたシンガーソングライターであり、レコード・プロデューサー・女優・政治活動家でもあります。
そんなシェリル・クロウさんは、20代のときにうつに苦しんでいたそうです。
シェリル・クロウさんの経歴、芸歴
シェリル・クロウさんは、ミズーリ州ケネットで、弁護士でトランペット演奏者の父親とピアノ講師の母親の間に誕生し、姉2人と弟1人がいます。
シェリル・クロウさんは、ケネット高等学校を経て、ミズーリ州コロンビアにあるミズーリ大学コロンビア校に進学し、作曲、演奏、教育の学士を取得しています。
シェリル・クロウさんは、大学卒業前からミズーリ州フェントンのケリソン小学校の教師として音楽を教えており、当時いくつかのバンドで週末に歌う機会を得ていました。
その後、地元のミュージシャンでプロデューサーのジェイ・オリヴァーさんを紹介されています。
1986年に、自らの音楽への夢を追うため、カリフォルニアに移住し、翌1987年から1989年、マイケル・ジャクソンさんのコンサート・ツアー「Bad World Tour」でのコーラスを務めました。
また、ツアーの一環で同年9月から10月にかけて来日もしています。
1990年、A&Mレコードと契約。
その後、1992年、フィル・コリンズのプロデューサー、ヒュー・パジャムさんによるデビュー・アルバムに予定された曲のレコーディングを行ない、当初は、1992年9月22日に自身の名を冠したアルバムが発売されるはずでしたが、レコード会社から発売を無期延期されています。
1993年、ビル・ボットレルさんがプロデュースを手掛けたアルバム「チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ」で、シェリル・クロウさんは、ようやくソロ・デビューを果たします。
その後、シングル「Strong Enough 」と「Can’t Cry Anymore」が発表されました。
これらは、ビルボードにおいて「Strong Enough 」は5位、「Can’t Cry Anymore 」は40位となっており、このアルバムは、1990年代のアメリカとイギリスで700万枚を超えるセールスを記録しました。
そして、同作収録曲の「オール・アイ・ワナ・ドゥ」は全米ビルボードチャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、1995年の第37回グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀新人賞、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の3冠を受賞しました。
次いで1996年に自身の名を冠したセカンド・アルバム「シェリル・クロウ」を発表し、このアルバムには妊娠中絶、ホームレス、核戦争についての曲が含まれています。
このアルバムからの1枚目のシングル「イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー」は主にラジオでも大ヒットを記録しました。
そして、シェリル・クロウさんは、1997年の第39回グラミー賞で最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞、最優秀ロック・アルバム賞の二部門を受賞しました。
2002年には、4枚目となるアルバム「カモン・カモン」をリリースし、この作品は日本において、オリコンアルバムチャート最高位9位という大ヒットを記録し、このアルバムには、ヒット曲「ソーク・アップ・ザ・サン」が含まれています。
日本公演を収めたライブ盤「Live at 武道館」も日本のみリリースされ、翌2003年の第45回グラミー賞ではこのアルバムからの2枚目のシングル「スティーブ・マックイーン」で最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞しました。
2003年、「ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ」をリリースし、このアルバムはいくつかの新曲を含め、彼女の多くのヒット曲で構成されています。
その中でも、シングルカットされたバラード「ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト」(キャット・スティーヴンスの曲のカヴァー)はラジオでパワープレイされ、「オール・アイ・ワナ・ドゥ」以降の爆発的な人気を得て、彼女のラジオでの最大のヒット曲となり、米国のエアプレイチャートで1位を獲得しました。
また、Billboard Hot 100に36週にわたってチャートインして、プラチナディスクに認定され、さらにBillboard Hot 100では最高14位に達しました。
また、アメリカン・ミュージック・アワードにおいても最優秀女性ロックアーティスト賞を受賞し、さらにシングル「Light in Your Eyes」はラジオで限定放送され、アメリカン・ミュージック・アワードでアダルト・コンテンポラリー・アーティスト賞を受賞しています。
エリック・クラプトンさんとの交際が原因で重いうつ状態に陥っていました
そんなシェリル・クロウさんは、1998年にサードアルバム「グローブ・セッションズ」をリリースし、この時期のインタビューで、エリック・クラプトンさんとの短期間の交際によるものと推測される、重いうつ状態に陥っていました。このアルバムからの1枚目のシングル「My Favorite Mistake」は、本人は火遊びした元ボーイフレンドと語っています。
しかし、この曲はクラプトンさんについて書かれたものとの噂がありますが、シェリル・クロウさんは、ビルボード誌上ではこの曲が誰について書かれたものなのか話すことを拒否しています。
シェリル・クロウさんは、「人々は好き勝手に色々推測するけれども、私だけが真実を知っている。
私が誰と関係を持とうが私の勝手だし、それを誰かに話すことはない。
私の親しい人にも話すつもりもない」と語っています。
シェリル・クロウさんは、うつについて
「うつに苦しんでいたことがあったわ。
それは20代のときのことで、悪いことに半年も続いた。
その間、服を着ることも、家を出ることもできなかった。
抗鬱剤とセラピーは助けになったけれど、うつは多くの人がなる可能性のある化学作用。
それはいつもわたしの人生の一部になっている。」
と、過去に自殺しようと思ったことがあることを認めたうえで語っています。
シェリル・クロウさんは2007年5月11日、4月29日生まれの生後2週間の乳児を養子にし、さらに、2010年6月4日、4月30日生まれの別の乳児を養子にしたことを発表しました。
現在一家はナッシュビル郊外の154エーカー (0.62 km2)の農場に住んでいます。
うつ症状は完全に回復しているようですので、これから一層の活躍を見せてくれるのではないかと思います。