双極性気分障害Ⅰ型の私の人生【体験ブログ】

双極性気分障害の1型と医師からは診断されております。
なかなか言葉にすることには勇気がいりますが、誰かの役に立てることもあると思い、わたしの狂気の躁鬱体験記をほんの一部ですが、紹介させていただきます。(双極性気分障害の1型と医師からは診断されております。)
今思うと、非常に生きづらい人生を歩んできたように思います。
妹が産まれたころから、親の関心は妹に多く寄せられることが多かったです。
わたしはしっかり者のお姉ちゃんで甘えることがあまり許されませんでした。
妹は誰からも「カワイイ!」と声をかけられるほど見た目も可愛らしく、性格も甘えんぼうで愛嬌があり、人を寄せ付ける魅力がありました。
わたしは色黒の父親に似たのか、見た目も地味で目立たず、性格もそんな妹に嫉妬するなど、ひねくれておりました。
それでも小学生の頃は、クラスのリーダー的存在でした。
自己中心的にふるまい、妹をいじめたり、友達ともよくケンカしていた記憶があります。
中学生になり、心を完全に閉ざしてしまいました。
どうやって、人と話すのかが急にわからなくなりました。
親も自分のことで精一杯なのか、わたしが暗くなったことにも気付かず、というかほとんど無関心でした。
お弁当を隠しながらこそこそと食べ、グループには辛うじて入れてもらいながらも、ほとんど会話もしないまま過ぎていくお昼休みが苦痛でたまりませんでした。
孤独でした。自分の顔が大嫌いでたまりませんでした。
トイレの鏡を殴っていたこともあります。そして、トイレに誰かが入ってくると、怖くてたまらずさっと逃げるように出て行くのが常でした。
高校になると、幾分ラクになり、勉強に打ち込んでいるときは、少し気分がまぎれたりもしました。孤独は変わらずでした。
誰でもいいから、自分を必要としてくれる人がほしい。
そんなことを考えながら過ごしてました。
大学では明るくなりました。
人から必要されることが増え、今思うと「性的逸脱」のはじまりなのですが、たくさんの男性と交際することで自分を取り戻していく感覚になりました。
既婚者がほとんどでした。自分が「好き」だと心から思える人もいましたが、好きでない人とも経済的な理由でつきあうことも多くありました。
自分に嘘をつくことは日常茶飯事になっていました。
でも、楽しいことも多く幸せを感じる大学生活でした。
社会人になり、最初の職場で、体調を崩し欝っぽくなりました。
体力的にもきつく感じており、精神的にも、自分はなぜここで働いているのか、疑問に思うことが多くありました。
当時つきあっていた職場の彼氏がおり、幸せでしたが長くは続きませんでした。
妊娠がわかりましたが、まだ若すぎますし、わたしは借金も抱えていました。
なにより、結婚する相手ではないなと思いました。そして悲しい手術をしました。
今思えば、結婚しておけばよかったのかもしれません。
そして転職しました。
体調不良は軽減し、欝っぽさも和らぎました。
仕事は厳しく、落ち込むことは多くありましたが、精神科の門をたたくほどではありませんでした。
結婚をしました。いろいろ不安に思うことはありましたが、非常に忘れっぽい性格もあり、平和に暮らしている、つもりでした。
これまでの借金生活から解放され、自分の好きなようにお買い物をしていました。
最初はそれでもよかったのです。賃貸暮らしで、共働きでした。
ずっと夢をみていました。いつか子どもが出来ると…。それが出来ません。
周りの親戚や友人、パート先の同僚は次々に子どもが出来て幸せそうです。
親にも申し訳ないと思っていました。仕事を辞め、不妊クリニックにも通いました。
でも出来ません。それ以前に、主人は新婚当初からそういった行為を好みませんでした。
今思うと、アスペルガー症候群の症状にみられる、感覚過敏ではないのかなと思います。
難航をきわめました。涙もたくさん流しました。が、主人は慰めてくれるわけでもありません。
やさしい言葉が出てくるわけでもありません。子どもがそもそもほしくはなかったそうです。
親にも相談できません。それでもいつか出来ると信じていました。
が、男性不妊が発覚し、わたしのストレスは衝撃とともに限界を超えてしまいました。
今思うと、それでもよかったのです。夫婦2人で、慎ましく生きていければそれでいいのです。
でも、当時のわたしには自分を客観的に見る力はありませんでした。
ちょうど、欝症状を治そうと通っていた呼吸法の先生の教えに洗脳された部分もあります。
自分の人生、こんなんで終わっちゃ嫌だ、と激しく思いました。
そこからが狂気の躁状態のはじまりです。
まぁ見事に派手なことをしてかしました。
取り返しがつくのかどうかは、いまだにわかりません。。。
数々の有名人・著名人とも出会いました。
そしてビジネス…自分が悪いのですが、一気に足もとをすくわれたこともありました。
住宅ローンは残ったものの、ほぼ全財産を失ったこと…本が書けるくらいです。
当時はまさか自分が精神病だとは思いません。
気づいたのは、ほとんどすべてを失った時でした。気付くのに、8~9ヶ月かかりました。
まだ、すべてを受け入れることは出来ませんし、今こうやって言葉を綴るのも、涙を流しながらです。
今は、激欝状態ですが、それでも病気を隠して仕事に行っています
。精神科には最近かかりましたが、薬も飲まずがんばっています。
精神科の先生に紙芝居風に有名人・著名人と撮影した写真や過去の仕事の成果などを披露しましたら、ほぉ~・・・これがあの有名な○○さんか~と、目を丸くさせ、そして口角に泡を吹きながらこうおっしゃいました。
「先生、受け止めきれないわぁ~・・・。君、よく仕事できていたんだねぇ。先生と同じ大学だもんなぁ~・・・。激欝状態で仕事に行っていることは凄いことです。治そう。」
今わたしは絶望の中で、必死に生きています。
見た目もみすぼらしく、一気に老けました。体調も悪く毎日しんどいです。
慌てて見つけた新しい仕事、そこではもちろん、かつての私を知る人はいません。
もう、昔の仲間はいなくなりました。
それでも、しんどくても辛くても怖くても希望がなくても、朝が来てしまう。生きていかなければならない現実…。
幸い、離婚はせずに済みました。
本当に大切なものは、家族だと身に沁みてわかりました。
そして、お金…。いろんなことに、いろんな誤りに、気付きすぎるくらい気付きました。
唯一の趣味も無くしました。ですが、今はブログを書くことが、自分の心の支えになっています。
有効な治療法がないのですが、言葉を外に出すこと、同じ障害をもった仲間の記事を読むことは、一時的にでも気分が紛れます。
子どもがいる人、経済的に困窮していない人には同じ障害であっても、感情移入はしづらいです。
子どもがいれば、何だかんだいっても助けられることはあるでしょう
。希望があります。お金があれば、老人ホームに入れると思うからです。羨ましいです。
わたしの夢は、老人ホームに入ることかもしれません。少なくとも、ホームレスになることだけは避けたいです。
この絶望感は、なかなか精神的な病を患った人にしかわからないものだと思いますね。