桂枝雀さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】



桂枝雀 うつ病 自殺

1999年3月に首吊り自殺を図り、そのまま意識が回復することなかった桂枝雀さん

桂枝雀さんは、兵庫県神戸市生出身の落語家です。
桂枝雀さんは、3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、古典的な落語を踏襲していながら、超人的な努力と持って生まれた天才的なセンスにより、客を爆笑させるというスタイルを開拓しました。

そんな、桂枝雀さんですが、1999年3月に首吊り自殺を図り、そのまま意識が回復することなく、同年の4月19日に心不全によって、59歳で死去しました。

桂枝雀さんは、2代目桂枝雀を襲名する前に、うつ病で苦しんでいたそうです。

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桂枝雀さんは、1939年に、神戸市灘区において、ブリキ工を営んでいた父の長男として生まれました。

1945年6月、桂枝雀さんが5歳の時に戦災に遭ったため、父親の出身地である鳥取県倉吉市に疎開し、小学校1年に入学しましたが、間もなく兵庫県伊丹市に移り住みました。
この地で中学を卒業した後、桂枝雀さんは、もともと進学を希望していましたが、父が亡くなるなどで家族の生計が苦しくなってしまったため、やむを得ず夜間の定時制がある、伊丹市立伊丹高等学校に進学します。

そして、桂枝雀さんは、日中は三菱電機伊丹製作所で養成工として働き、兵庫県立伊丹高等学校において給仕の仕事に就いたりしてと家族の生計を支えていました。
この頃の桂枝雀さんは、自身の弟と共に、ラジオ番組「漫才教室」にリスナーとして参加、そして、この兄弟は素人お笑いトーナメント荒らしとして知る人ぞ知る存在になっていきました。

そして、そのお笑いトーナメントにおいて賞金を得ては生計の足しにしていたそうです。

また、同番組の審査員の中には、後の師匠である桂米朝さんも含まれていました。
そんな多忙な中でも、桂枝雀さんは、勉強は怠らず、高校へは首席で合格し、その高校の入学式では入学生代表の挨拶を務めました。

特に桂枝雀さんの英語の学力については、高校生の頃からかなりのものであったそうで、専門書を読めるほどであったことから、これが後の桂枝雀さんの英語落語にも繋がっていきます。

1960年(昭和35年)、桂枝雀さんは神戸大学文学部に入学。
しかし、1年間通った後の1961年(昭和36年)、桂枝雀さんは、「大学がどんなところなのか大体分かりました」と言って、あっさりと大学を中退してしまいます。

その後、3代目桂米朝さんに入門し、落語の道を志すようになり、その際に「10代目桂小米」と命名されました。当時の兄弟子には、3代目桂米紫さん、月亭可朝さんがいましたが、桂枝雀さんは内弟子としては桂米朝さんの一番弟子となっています。

そして、1962年(昭和37年)4月に、桂枝雀さんは、千日劇場において初舞台を果たします。

その後、桂枝雀さんは、間もなく、女性浪曲漫才トリオである「ジョウサンズ」の日吉川良子さんと出会います。

そして、桂枝雀さんは、「あんたみたいな天涯孤独な人探してたんや」と結婚を申し込みます。夫人によれば、家ではひどく陰気で、テレビも見なければ、世間話もしなかったので、落語のときの、大らかで陽気な性格とのかなりの違いに非常に驚いたそうです。

桂枝雀さんは、結婚して間もなく長男が生まれた際に、落語だけに専念するため、それまで行っていた他の芸能仕事をやめてしまいました。

そして、家でひたすらネタ繰りに没頭していた1973年のある日、夫人がいつものように桂枝雀さんをタクシーから降りて見送ろうとした時、桂枝雀さんは「演芸場に行くのが怖い」と言って、その場にしゃがみこんでしまいました。

夫人はすぐに師匠の桂米朝さんに連絡し、病院に連れていったところ、重いうつ病と診断されました。

桂枝雀さんは、家庭ができたということで、将来に対して過度なプレッシャーを感じていたようです。

また、自分の芸に対しても極限まで思いつめるところがあったそうです。
そして、「死ぬのが怖い」、「死んだら人はどうなるんや」などと、全てのことが悪い方にいくように思えて仕方なくなってしまったそうです。

そのため、食事も摂らず、顔は青ざめ、風呂も入らず、家に篭りっきりになってしまい、また、夫人には自分では幸せにすることができないとして「別れてくれ」と泣いて頼むということもあったそうです。

桂枝雀さんは、治療のため、いくつかの病院を回ってみたそうですが、薬の処方箋を出されるばかりで、一向に快方には向かいませんでした。
そして、最後にいった病院において

「今必要なのは休息です。
薬はいりません。
自分が不安に思っていること全て話し、そしてまた不安になったとしたら、いつでも病院に来てください」

と言われ、胸がすーっとなり、その後、3か月間のブランクを経て、桂枝雀さんは高座に復活しました。

そして、それまでは私生活では陰気に過ごしていましたが、これからは常に明るく陽気でいることを決意し、これは、「ずっと笑いの仮面をかぶっていれば、いつかその仮面が自分の顔になる」という気持ちを持ったためだったそうです。

桂枝雀さんは、晩年の1997年頃にうつ病を再発してしまいます。

そして、高座のマクラで「私、またうつ病になってしまったんです」と話したり、泣いたりすることもあったそうですが、客は冗談だと思って笑ってしまうのだそうです。

そして、桂枝雀さん本人は涙を流しながら否定するのですが、それがまた、客のさらなる笑いを誘ってしまう、という悪循環に陥ってしまったようです。

その後、一旦は回復しかかったものの、桂枝雀さんは1999年3月13日に、大阪府吹田市の自宅で首吊り自殺を図ったところを発見されます。

落語家という職業柄、桂枝雀さんは、常に陽気で明るくいることを強いられてしまったため、自分の本当の状態を理解してくれる人が少なかったのではと思います。

たくさんのお客さん等に笑ってもらっていても、自分の心は常に孤独であったのかもしれません。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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