勝谷誠彦さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】



勝谷誠彦 うつ病

ブログでうつ病であることを公表している勝谷誠彦さん

勝谷誠彦さんは、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属(マネジメント契約)している、日本のコラムニスト、ライター、タレント写真家であり、元ジャーナリストでもあります。
テレビ番組「スッキリ!」のコメンテーターでもおなじみな勝谷誠彦さんですが、ブログでうつ病であることを公表しています。

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勝谷誠彦さんの経歴・芸歴は?

勝谷誠彦さんは、兵庫県尼崎市出身で、開業医(立花駅前の勝谷医院)の家に生まれます。
西宮市立の小学校を経て、尼崎市立七松小学校から灘中学校に進学し、その後、灘高校時代には生徒会長を務めていました。

また、地学研究部に所属し、全国各地で鉱物を採集していたそうです。
学校では、教師を捉まえては議論を持ちかけるタイプの生徒であったそうです。

ただ、成績は悪く、特に数学と英語が苦手だったそうで、勝谷誠彦さんは「最初から最後まで下から3番目とかだった」と当時を回想しています。

卒業に関しては「私と物理学」という作文を書いて、何とか卒業を認めて貰ったという経緯もあるということです。
大学受験では、現役時に筑波大学医学専門学群の受験に失敗しており、翌年には東京大学文科Ⅲ類に不合格となるも、早稲田大学第一文学部に合格し、後に文芸専修に進んでいます。

さらに翌年、筑波大学医学専門学群に再挑戦するも、不合格となってしまいました。

勝谷誠彦さんは、慶応の法科にも受かっていましたが、勝手に早稲田への進学を決めてしまったため、親に仕送りを打ち切られ、家庭教師や土方などのアルバイトで自活するようになり、大学では、「早稲田おとめちっくクラブ」(少女漫画研究会)に所属していました。

早稲田の文芸専修に進んだのは小説家志望だったためで、平岡篤頼さんのゼミで小説を書いていました。

大学2年生時には、専攻の機関紙「蒼生」に小説「栗の花」が、「早稲田文学」に小説「金魚」が掲載されました。大学在学中より、三尋狂人(みひろ・くると)のペンネームで主に風俗関連を専門とするフリーライターとして活動し、大企業の管理職レベルの収入を得ており、その後、編集プロダクション「ブレーメン・ファイブ」を設立しました。

勝谷誠彦さんは1985年、早稲田大学卒業後、広告代理店の電通に入社しましたが、数ヶ月で退職しました。

その後、文藝春秋に入社し、初めは写真週刊誌「エンマ」の記者となりました。その後は雑誌「クレア」、「週刊文春」、「文藝春秋」、「マルコポーロ」等の担当を歴任しています。
文藝春秋在職中には、日本国内での取材の他、エドゥサ革命、三井物産マニラ支店長誘拐事件、カンボジア内戦、湾岸戦争など、国外での取材も多く経験したそうです。

「週刊文春」の記者時代には、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1989年)における加害者少年らの実名を報道して議論を呼びました。
未成年の容疑者らに対する実名報道は同誌編集長(当時)・花田紀凱の了承の元に行われたものでした。

ただ、勝谷誠彦さんの持論は「獣に人権は無い」であったそうです。
1996年に、勝谷誠彦さんはマルコポーロ事件で出版局の第二文庫部 次長に異動し、マイナーな漫画の文庫化の仕事を最後に文藝春秋を退社します。

退社後は金銭的に苦しい時期もありました。
しかし、徐々にフリーランスとなり、コラムニストとして取材や執筆、講演活動、メディア出演などを行うようになりました。

自身がうつ病であることを告白した勝谷誠彦さん

勝谷誠彦さんは、週刊SPA!2015年6月2日号の自身の連載「ニュースバカ一代」でも、自身がうつ病であることを告白しました。

うつ病のきっかけについては「それは「ドスン」とやってきた。

昨日寒いのに外で薄着をしていたから風邪をひいた、ならまだ納得がいくが、何ひとつ悪いことはしていないのだ。
しかし、突然、寝床から身体が起き上がらなくなった。」と語っています。

また

「じわっと立ち上がってなんとか飯を食おうとするがそれも出来ない。
幸いなのはこういう連載があることで、しかしそれも呆然と忘れていてさきほど担当者からのメールがあってこの原稿を書いている。」

とも語っており、普通の生活を送ることも困難であったことが伺えます。

ただ、勝谷誠彦さんは、抗鬱剤の服用、減酒、転地療養、アイドル(ももクロ)療法等を行い、地道に闘病生活を送り、うつを完治したと同誌で報告しています。その中で「私の場合は主治医が目が点になっていた。「治っていますね」と。表情がまったく違うのだと。」と主治医に驚かれたことを語っています。

また、「でも、これを書くにはかなり葛藤があった。鬱病でいる間に、何百通ものメールをもらい、どれだけ苦しんで何年も闘っている人がいるかと知ってしまったので」とも語っており、うつに対する世間の偏見等がわかったことも含めて、いい体験だったとも語っています。

勝谷誠彦さんは自身のうつについて、「私は周囲に誰もいないので、ひとりで治した。ひとりで「ねじ伏せた」。」と語っており、闘うという治し方もあるのではないかと提案しています。

また、「うつの人には腫れ物にさわるように接しなくてはいけない」のはどうなのかなあと感じたということも語っています。
約3ヶ月という奇跡的な短期間でうつを完治させた勝谷誠彦さんが語ると、説得力があるように感じました。

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