ウィノナ・ライダーさんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】
大失恋でうつ状態にあったことを告白したウィノナ・ライダーさん
ウィノナ・ライダーさんは、アメリカ合衆国の女優です。
ウィノナ・ライダーさんは、雑誌の英エル誌のインタビューで、20歳過ぎに経験した「生まれて初めての大失恋」のせいで、しばらくうつ状態にあったことを告白しています。
ウィノナ・ライダーさんの芸歴、経歴は?
ウィノナ・ライダーさんの本名はウィノナ・ローラ・ホロウィッツ(Winona Laura Horowitz)であり、出生地であるミネソタ州ウィノナにちなんで名付けられたそうです。
東欧ユダヤ系の両親がヒッピーだったので、幼い頃からコミューンで育ち、後見人は心理学者のティモシー・リアリーさんです。
ウィノナ・ライダーさんが11歳の時に父親が再婚し、父は作家兼出版業者、継母は教育ビデオの制作者であり、継母の連れ子の兄姉と異母弟がいます。
ウィノナ・ライダーさんは、高校では芸能活動をしていたことや、華奢でボーイッシュな容姿を理由に酷いイジメを受けていたそうです。
その為、通学を免除され、リポート提出をもってそれに代わる処置を施され卒業しました。
また、ウィノナ・ライダーさんは、10代の頃に境界性パーソナリティ障害を患っていたということを、後に告白しています。
ウィノナ・ライダーさんは、12歳の時にオーディションに合格して舞台に出るようになり、1986年の「ルーカスの初恋メモリー」で映画デビューを果たします。
1989年には、学校内の上下関係をシニカルに描いた「ヘザース/ベロニカの熱い日」に出演し、青少年の支持を得ました。
そして、1990年の「恋する人魚たち」ではゴールデングローブ賞の助演女優賞にノミネートされました。1993年の「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」においては、ゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞し、また同作ではアカデミー助演女優賞等、主要な映画賞にノミネートされ、さらに、その翌年には「若草物語」でジョー役を演じ、アカデミー主演女優賞候補になっています。
ウィノナ・ライダーさんは、「17歳のカルテ」ではプロデューサーとしても手腕を発揮し、2000年にはそれまでの功績が称えられ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれました。
1990年から俳優のジョニー・デップさんと交際を始めます。
ウィノナ・ライダーさんは、1989年から1990年までは俳優のクリスチャン・スレーターさんと交際しており、1990年から俳優のジョニー・デップさんと交際を始めます。
その後、婚約するが、1993年に破局してしまい、ミュージシャンのデヴィッド・ピルナーさん、俳優のダニエル・デイ=ルイスさんやマット・デイモンさんと交際した時期もあります。
そして、近年ではミュージシャンのブレイク・セネットさんと交際していましたが、別れています。
ウィノナ・ライダーさんは、2001年12月13日にロサンゼルスのブティックで約5500ドル相当の商品を万引きしました。
そして、窃盗の疑いで逮捕され、2002年11月6日に裁判が行われました。
裁判では、3年の保護観察と480時間の社会奉仕、1万ドルの罰金という有罪判決が下され、2004年には「重罪」から「軽犯罪」に減刑されています。
ウィノナ・ライダーさんは、前述の通り、20歳過ぎに大失恋のせいでうつ状態にあったことを告白しており、具体的な名前には言及していませんが、その失恋の相手はジョニー・デップさんとされています。
当時、ジョニー・デップさんは26歳、ウィノナ・ライダーさんは18歳であり、売れっ子映画スター同士の熱愛に報道は過熱し、それに応えるように急速に愛を深めていくジョニー・デップさんと彼女のウィノナ・ライダーさんは交際5か月で婚約しました。
また、90年には映画「シザーハンズ」で2人は共演し、映画は大ヒットとなります。
しかし、91年に予定していた結婚は、互いの仕事のスケジュールが合わず延期になり、この頃から2人とも主演映画の撮影が相次ぎ、一緒に過ごすことが難しくなりました。
そのうえ、共演者たちとの恋の噂もひっきりなしに立てられ、相手に対して疑心暗鬼になってしまったそうです。
そして、一度生じた亀裂は修復できないまま、1993年6月にジョニー・デップさんはウィノナ・ライダーさんと1ヵ月前に破局したことを公表しました。
ジョニー・デップさんとの破局にショックを受けたウィノナ・ライダーさんは、将来を期待されていた女優であったにも関わらず、うつ状態、ドラッグ依存等の奇行が目立つようになります。
そして、前述の逮捕へとつながってしまうのです。
しかし、現在のウィノナ・ライダーさんはジョニー・デップさんとの別れを乗り越え、徐々に映画へ顔を見せるようになってきています。
2010年に出演した映画「ブラック・スワン」は好評を博しており、そして2015年7月、マークジェイコブスの広告塔にも返り咲きました。
これからもまだまだ活躍していってほしいなと思います。