うつ病から双極性障害になった私【体験談】
21歳の頃、オーバーワークによりうつ病と診断されました。
寝たきりの生活で、食べ物は砂の味がしました。
高熱が出た時のように体が重くて、お風呂に数ヶ月入れませんでした。
母には働きなさいと叱られ、泣きながら毎日を過ごしていました。
働いてはすぐに辞めてを繰り返していた時、父が急死しました。
第一発見者は私です。
その時、脳が爆発するような感覚が巡り、私は、救急隊員にすがりつくように泣きました。
過呼吸が止まらず、葬式も起き上がれずぐったりしていました。
その後からです。
急に、自分がなんでもできると感じて、仕事を始めたり、友達に怒鳴りちらしたり、つまり躁状態に陥っていました。
友達とのトラブルが多発して友達がいなくなりました。
あまりにおかしいと母が判断し、精神科で診察を受けると、幼い頃から自殺願望があったかを聞かれました。
思い返すと、小学四年生の頃、担任の先生が厳しい人で学校へ行くのがつらくて衝動的に、家の二階から飛び降りようとしたことがあったので話しました。
他には?と聞かれると、父が亡くなった後、首をつろうとして母ともみ合いになった話をしました。
それから、何度か衝動的に出会い系サイトで知り合った男性とデートを繰り返した話をした時に、医師が躁状態の言葉を教えてくれました。
躁状態が来るとそのあと深いうつ状態がくる仕組みが起きるのが躁うつ病、イコール双極性障害です。
オーバーワークの時も、衝動的にほぼ寝ずに仕事をしていました。それも躁状態だったからこそできたことだと気づきました。
それからは、うつ状態が来て、三ヶ月間寝たきりでした。
自分の未来が見えず怖くて仕方なかったです。
入院を考え、病院を下見させてもらったのですが、空気から鬱鬱しいものがあり、余計に酷くなると感じました。
ずっと私についてくる女性もおり、怖くなった私は入院をしませんでした。
薬は、デパスとドグマチール、ラミクタールを飲んでいました。
他の薬を試したのですが、全て下痢になってしまい、ラミクタールを飲んでようやく落ち着きました。
父が亡くなった頃は、大鬱病と言われ、一日30錠の薬を飲んでいても効果はありませんでしたが、ラミクタールは私にとても合っていたようで、かなり精神的に落ち着いてきました。夕方に三錠飲んでいます。
睡眠剤は、デパスだけで充分眠れるためデパスのみになりました。
その後、躁状態の際は、衝動的に買い物をするようになったり、男性とデートをするようになりました。
その後、後悔をして寝たきりになる。
典型的な双極性障害の症状です。
仕事はしていませんでした。
何度かチャレンジしたのですが、過呼吸が起きてしまい、一回行ったきりになりました。
その頃、医師から障害者手帳を作らないか?と提案をされて作りました。
過呼吸が起きた時などに、手帳を見せることで、わかってもらえるのはとても楽でしたし、自分が障害者である自覚を持つと行動が自制できるようになりました。
障害者手帳を使える施設は多く、私の地域では映画が千円で見られます。
映画好きな私にはラッキーでした。
出会い系サイトで男性とデートをする癖は直りませんでしたが、そこで、優しい彼氏に出会いました。
精神障害は母も彼氏も理解をしようとしてくれています。
理解をされるのにはとても時間がかかります。
しかし、手帳の効果はかなりありますので、作れる方は作る方がいいです。
私は二級です。